日本がJAPANと呼ばれるのは何故② 完
地図:1561年Sebastian Munster "Munster's Map of America"
左側、船のマストの上のほぼ長方形の島がZIPANGRI、右がアメリカ大陸、北にINDIA, カリブ海にFlorida半島やCVBA(キューバ)などが描かれている。
東方見聞録のZIPANGUからJAPANへ
前号では日本国が元朝の14世紀頃には日(ジッ)本(ブン)国(グッ)、すなわちジップングッと呼ばれていたと書きました。まだ読まれていない方は、よろしければ以下のリンクをクリックしてお読みください。
日本国(ジップングッ)をローマ字で書くとZIPPUNGUになりますよね!
マルコポーロは、東方見聞録を口述する時にもしかするとジッパングと話したのかもしれません。それが今に伝わるZIPANGUなのではないでしょうか。
英語でJAPANと呼ばれるまではもうひと捻り
さて、とにかくマルコポーロのお陰で東方の黄金郷 ZIPANGU, ZIPANGRI, CHIPANGU…などと呼ばれる島国がヨーロッパに紹介され、15世紀中ごろから17世紀中ごろのヨーロッパ人による大航海時代に突入します。
主としてスペインやポルトガル人がアフリカ、アメリカ、アジアに進出し、植民地経営を行い宣教師がキリスト教を広めた時代です。
当時はインドの胡椒や中国の絹、綿織物、陶磁器などがヨーロッパで高級品として高値で取引され船に積んで持ち帰ると莫大な利益となったと伝わっています。加えて黄金郷のエルドラド日本にたどり着けばさらに莫大な利益となると当時の欧州人は思ったに違いありません。
その後に来たオランダ人や英国人らも広東省などに彼らは拠点を作ります。そして中国の東の島国の名称を中国人に尋ねます。その答えは既にZIPANGUではありませんでした。その名称は日本(広東語でYAPPUN:ヤップン)これをポルトガル人が聞いてJAPAO(ヤパン)オランダ人が聞くとJAPAN(ヤパン)・・・そのJAPANを英国人はジャパンと発音したと私は考えます。
もう一つの説は東南アジアに多く進出している福建省南部の人や台湾人が日本の事をジップン(閩南語:ミンナン語)と呼んでいるのを英国人がJAPANとしたとも考えますが、私は上述の広東語からポルトガル語・オランダ語そして英語のJAPANになった方が有力かと思います。
いずれにしても、ジパング「ZIPANGU:日本国」もジャパン「JAPAN:日本」も昔の中国人の発音をヨーロッパ人がアルファベットで表したものだったのです。