最近よく思うんです。

そもそも何で料理人になったかというと溜まり場を作りたかった、それだけなんすよ。
幼い頃から友達には恵まれて小中学校はもちろん高校に通ってたときも俺の家には毎日友達が遊びに来てくれた。
いつの間にか大人になって皆仕事をするようになってなかなか顔を合わせる機会が減って、そんな時に思った。

大人の溜まり場をおれが作ろうって。
それがどんな形でも良かった、居酒屋でもバーでも定食屋でもカレー屋でも。
かといってどれも専門知識や技術が必要だしやるなら
くそ旨いもの出したいな、よし料理修行しよっ。
それくらいの感覚だった。

ただどんな物でもやるからにはトップを狙いたくなるのが男の子というものだと思う。
もちろん俺もそうでなんとなく頭の中に料理のトップ=東京のミシュラン掲載店だったから今に至るわけで。

人生でコース料理なんて物を食った事も無ければ
食いたいなんて思った事もない。あんな少ない量で腹一杯になるかよバーカ、くらいに思ってた。
けど案外やってみるとこれが面白くて。
何を食っても知らない味、未知の味がそこにあった。しかもそれがどれも美味しいんすよ。
少ない量なのにも一つ一つ意味があってコースの順番にも意味がある。それに気づくのはしばらく先のことなんすけどね。

ただ最近ずっと悩んでる。
俺がいるのはコース一本何万円もする世界だ、
限られた人間しか正直来ることが出来ない。
溜まり場ってのはこういうのじゃないよな。
目の前の事に必死過ぎて忘れていた。

料理人になってたかだか一年足らずで
ミシュラン二つ星店に内定をもらった、
それぐらい必死だったし誰よりも努力した。
心から料理が好きだと思った、天職だとも。

だけど常に頭の中にはこれじゃないよなって悩みがあって。何て贅沢な悩みだろう。笑
そこで働いた経歴があるだけで独立した暁には
全国から、美食家が食べに来てくれる。
そしてそこにはフィルターがかかる、

「○○で修行してるだけあってやっぱり美味しいわね。」

それなりに美味しいものを出していれば上手くいく花畑ルートが先にある。

クソ喰らえだ。
食事というのは肌の色、瞳の色、宗教の違いも貧富の差も関係無し、誰もが平等に楽しむものだ。そこに手を加えて少しだけ華やかにしてやるのが俺の思う料理人だ。

もちろん日々頑張ってる自分へのご褒美、大切な人への感謝を伝えるものとしてどうしても価格というものは大きいだろう、高いものはありがたいものだと。そのものを否定する訳では無いよ。
ただ俺という人間には少し背伸びし過ぎな気がした、それだけの事です。

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