2020年3月、新型コロナウィルスが世界を震撼させた。 ライブハウスと居酒屋のバイトを掛け持ちのフリーターバンドマンだった俺はシフトに入ることが出来ずに詰んだ、文字通りゲームオーバーだ。 ただでさえ日々の生活で懐が苦しいのにどうしろって言うんだ。 消費者金融、車のローン、市県民税に国民年金、国民保険。 毎日返済の催促電話に怯え首が回らなくなり携帯の電源をオフにする日々が続いた3月の中旬。 兄貴から不在着信が入っていた。 俺には5歳上の兄貴がいる。 幼い頃の5歳の
学生の頃ヒッチハイクで旅に出たのが俺にとって初めての旅だった。 ダンボールに”東へ”とだけ書いて雨に打たれようが何だろうがたった二千円だけ持って進めるだけ進んだ。好きなものなんて食えないし宿なんて当然泊まれる訳がない。ただこの時も色んな人に助けてもらった。乗せてやれないけどパチンコ勝ったからこれ持ってきな、と言って五千円をくれたおばちゃん、廃棄の弁当をくれたコンビニの兄ちゃん。これ日本の話だぜ、ひっくり返るだろ? 旅というものに心惹かれて5年、先日久々に本州最北端の地を目
高校2年の時に逃げる様に実家を飛び出したので 小学校の卒業アルバムなんてもう無いもんだと思ってました。大事にとっておいてくれた母親に特大大感謝。 この歳になって卒業アルバムを見るともうめーちゃくちゃ面白い、マジで。 このノートを読んでくれてる人がいるなら一旦スマホを閉じて卒アルを開いてくれ、今すぐに。 見るだけでその時の情景から感情、匂いまで鮮明に思い出す。 毎日遊んだやつ、喧嘩したやつ。 好きな先生、嫌いな先生、初恋の女の子とかね。 初恋の子まじで告白しときゃ良かったわ!
そもそも何で料理人になったかというと溜まり場を作りたかった、それだけなんすよ。 幼い頃から友達には恵まれて小中学校はもちろん高校に通ってたときも俺の家には毎日友達が遊びに来てくれた。 いつの間にか大人になって皆仕事をするようになってなかなか顔を合わせる機会が減って、そんな時に思った。 大人の溜まり場をおれが作ろうって。 それがどんな形でも良かった、居酒屋でもバーでも定食屋でもカレー屋でも。 かといってどれも専門知識や技術が必要だしやるなら くそ旨いもの出したいな、よし料理修