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episode-1 "Simula"


2020年3月、新型コロナウィルスが世界を震撼させた。

ライブハウスと居酒屋のバイトを掛け持ちのフリーターバンドマンだった俺はシフトに入ることが出来ずに詰んだ、文字通りゲームオーバーだ。

ただでさえ日々の生活で懐が苦しいのにどうしろって言うんだ。

消費者金融、車のローン、市県民税に国民年金、国民保険。

毎日返済の催促電話に怯え首が回らなくなり携帯の電源をオフにする日々が続いた3月の中旬。

兄貴から不在着信が入っていた。


俺には5歳上の兄貴がいる。

幼い頃の5歳の差はかなり大きいもので喧嘩は当然勝てなく、毎日こき使われた、泣かされて蹲ってるところに小便かけてくるような極悪非道な兄貴だった。

俺が中学2年生になる時に家の事情で転校、兄貴は大学進学で上京。

生まれて14年経ち、ようやく我が家に安息の地が出来た。

その頃から兄貴は人が変わったかの様に弟思いになり頼りがいのある兄貴になった、今では友達のようでいて他人のように遠い愛しい距離にいる。

そんな兄貴から一本の連絡があり電話をかけた。

昔から俺は家族に相談事が出来ず、心のどこかで常に心配をかけたくない、俺一人で出来る事を見せつけたい気持ちが強かった。

でも今回ばかりは無理だ。

背に腹は代えられない、兄貴に金を借りよう。それしかない。


親父はハンバーガー屋、母さんは料理が上手で我が家の食卓にはお店顔負けのレベルの料理が毎日並んでいた。

そんな家で育った俺は小さい頃から漠然と将来は自分の城を持ち地元でレストランを開業する立派な夢があったがいつの間にか考えることすら無くなっていた。

そんな事を兄貴との電話で思い出した、当時の自分が情けなくて電話越しで泣いた。3月の深夜3時、まだ肌寒くて家に帰りたいけど帰りたくない。何故か居心地が良い不思議な感覚だった。

「人生悩んだ時は格好良いと思う方に転べ、失敗しても殆どの事は時間が解決してくれるよ。東京来いよ、狙うは三ツ星。」

簡単に言うなよな。笑


思い立ってからの行動は早かった。翌日にはバイト先に辞めることを伝え、引っ越しの手続きも済ませ会いたい人にもたくさん会った。

来たる4月1日、俺は上京した。

エイプリルフールだったから伝えなかった友達には嘘だと笑われたけど本当に上京した。兄貴と電話してから2週間後の事だ、この行動力には今でも感心する。


「申し訳ありませんが今回は採用見送りとさせて頂きます。貴殿のご活躍を心より応援しております。」

東京のありとあらゆるミシュラン掲載店に応募したが数え切れない数のお店に断られた。

考えが甘すぎた、このコロナ禍に新規採用してくれるお店なんてある訳がない、ましてや調理師学校も行ってない同素人の20歳だ。

強気で飛び出してきたものの調理師学校行ってないからとか、コロナ禍だからとか色んな言い訳を並べて弱気になった5月のGW明け、1つのレストランから面接の連絡があった。

だらし無く伸びた髪は切り落とし七三分けにした、ポリシーにしていた自慢の髭も全部剃り落とした。着慣れないスーツに袖を通し向かった東京都港区、後ろには東京タワーが立っていてどこを見渡しても高層ビルだらけ。正直面食らった、田舎者だなと自分で思った。

「この度は面接の機会を頂きありがとうございます。13時に面接予定の小林と申します、失礼します。」

とにかくハキハキと元気に挨拶をして重たく重厚な木の扉を開けると、美しいレストランがそこにはあった。若い女性のスタッフに面接の部屋に案内され待っているとふくよかな優しそうなおじさんが現れた。この店のオーナーシェフだ。

16歳の頃からバンド界隈に身を置いていた俺は敬語というものが苦手で失礼が無いように一言一言気をつけて、熱意を込めて発言した。

「小林君にとって料理人ってどういう人を指す?」

この質問の正解が分からなかった。

気をつけていた正しい敬語はどこかへ飛んで行き、下手くそな日本語で自分が思っている事をそのままぶつけた。

「料理人は芸術家だと思うんです。日々様々な仕事がロボットに取られていく現代で生き残るには芸術家になるしかないと思うんです、何かを生み出せる力が必要なんです。

それが音楽でもいいですし、絵を描いても良いです。映画監督になったり漫画家になったり何でも良いんです。

ですが生きていく中で音楽を聴かない人も居れば映画や漫画に興味が無い人も居ます、しかし料理は違います。食べないと生きていけないですしどの人間にも好きな食べ物は絶対にあります。世界で一番身近な芸術家が料理人だと思うんです。

今日一日ツイてなかったな、なんて日も夕飯が美味しければそれだけで笑顔は作れます。僕は沢山の人の笑顔を作れる人になりたいです、それが僕の思う芸術家で、料理人です。」

提出した履歴書にもう一度視線を送りシェフは言った。

「誕生日は10日か、うちで料理してみろ。これは俺からの誕生日プレゼントだ。10日から宜しくな。」

完全に敬語を忘れてしまった俺は

「マジっすか!!あざます!よろしくオナシャス!!」

なんて失礼極まりない挨拶をして帰路についた。


当時の彼女にもらった27センチの牛刀とペティナイフを持ち初出勤の日を迎えた。

コックコートに憧れを持っていた俺に渡された制服は白のワイシャツと革靴。「まずはホールの仕事を覚えてもらうね。お客様が来店されたら...」

ホール責任者の言葉が全く耳に入ってこない、俺は料理をする為に音楽をやめて地元や沢山の友達、彼女を置いて飛び出してきたんだぞ。こいつは何を言ってるんだ?からかうのも大概にしろ!

なんて言えたら良いものの、言える訳がない。このご時世で採用してもらえただけで感謝だ。まずはホールからか...。

           episode-1 Simula Fin.

ご愛読有難うございました。

タイトルにしている"Simula"(スィムラ)はフィリピンの言葉、タガログ語で"始まり"を指します。実は僕、フィリピンとのハーフで。まあ、それだけなんですけど。

また近いうちにepisode-2も記録します。

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