かけられた言葉で私たちは形成される
「ほら、緊張しちゃってるよ」
「もしかして、コミュニケーション苦手?」
「話しても、会話が広がらないよね」
言葉は、あるとき棘だ。
ちくっと刺さって、しばらく痛みは消えないし、刺された記憶は残る。
言われた言葉が脳内で、”私ってそういう人なんだ”と勝手に思い込み、変換されて、蓄積されて、どんどん行動や発言が萎縮していく。
周りを伺い気付かれないよう、目立たないように同調して、やがて自分の個を持っていないような透明な存在になる。
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昔から、言葉にして伝えるのが苦手だった。
思っていることを口にするのが分からなくて、うまく説明できなくて、人の意見に身を任せてばかりいた。
特に社会に出るとよくも悪くも私の代わりはたくさんいて、周りと比べてしまったり人柄を評価されるような環境に圧倒された。自分なりに頑張ってもあの子のようにうまくできなくて、ずっと自信がなかった。
いつも気を張って背伸びをしながら仕事をしていたので、ありのままの自分でいれるのは一人になるときだけだったし、無駄に周りに気を遣いすぎて本当の意味でのコミュニケーションはできなかった気がする。
そんなとき、私は冒頭のような、これまでかけられた言葉を思い出してしまう。
「やっぱり私はうまく人間関係を作れない人なんだ」とか「コミュニケーション苦手な人なんだ」とか自分のできなさを再認識して、人前で話すことに異常な緊張を感じてしまうのだった。
何気なく、放った言葉かもしれない。だけどそれらの言葉は私の中で繰り返され、一生残るものとなってしまった。
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言葉はその人の人格や性格を形成しうるものとなる。ましてや自分が本当は一番「わかっている」のにさらに釘を刺されてしまったら、どうもこうも動けない。
せっかく沈みかけた船が海面ぎりぎりへ出ようとしているのにまた豪雨に降られ、沈没してしまうような様だ。
普段は見えないふりをして気丈に振る舞うけど、たまに突っ込まれると我慢していた涙がうわっとこぼれてしまうときもある。
鋭くひかる棘を他人に向けない、
追い打ちをかけるようなことは決してしない、
もっと人に言葉に、やさしい世界になるといい。
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今はそんな風に言われることはないけど、やっぱり人前ではなすのは少し苦手だったりする。
言葉の力は思っている以上に大きいから、どうせならいい方向に使った方がいいはずだ。
素直に褒めること、認めること、気づいたこと、言われて嬉しくなる言葉は、反対に人を強く優しくする。
何気なく積み重ねた言葉が、人も自分自身も形づくるから。
そんなことを頭の片隅にちょっと置いておいて、これからも大切に言葉と付き合っていきたい。