紫陽花と詩人のこと(大鐘家、秋葉公園散歩)
公園や線路脇など、いたるところで紫陽花の花が見られる時期になった。花びらが集まり鞠のようにふわっと膨らんで見えるのは、西洋で品種改良されたもの。日本に元々あるのはガクアジサイという品種で、粒状の小さな花を縁取るように大きな装飾花(ガク)が咲く。
紫陽花の色は土壌の成分で変わるらしいが、想像のままに言わせてもらうなら、梅雨の湿気と朝晩の寒暖差が繊細なグラデーションを作っているように思える。自分にとっての紫陽花は、濃い花びらを雨粒で薄めて作る花だ。
先日は牧之原市にある大鐘家(おおがねけ)と秋葉公園を散策した。牧之原市の市花は紫陽花。どちらも紫陽花で有名なスポットだ。
大鐘家は約300年前の建築物で、母屋と長屋門が国の重要文化財に指定されている。敷地内には1万株、35種類もの紫陽花が植えられており、5〜7月頃までは客足が絶えないという。駿河湾に面した明るい道から長屋門をくぐり母屋に入ると、外から見えていた以上に暗さを感じた。光と影の振れ幅で一瞬視界が効かなくなり、ひんやりした空気と古い家屋独特の匂いに包まれ、静かな別世界に来た気分になる。夏特有の感覚だ。
母屋の裏にある山は薄暗く、長屋門までの明るい道とは好対照な雰囲気を醸している。山道は思っていたよりも短く緩やかで、5分もあればぐるりと一周することができた。切り開かれて陽が当たる斜面の紫陽花は淡く、山側の影に咲く紫陽花は濃いピンク。途中にある小さなお稲荷さんは、非常にパワーの強い金運スポットだと教えてもらった。
大鐘家を出て車を5分ほど走らせると秋葉公園が見えてくる。月曜の午前中にもかかわらず、駐車場がほとんど埋まっていたのには驚かされた。秋葉公園は山頂に火防の神を祀る小さな山。つづら坂の斜面にはいっぱいに紫陽花が植えられている。下から見上げた紫陽花群は青、白、紫、ピンクと華やか。グラデーションの滝がこちらに降ってきそうな勢いだった。
詩人の萩原朔太郎は自身の繊細な心を紫陽花にたとえた。ももいろに咲く胸中からは前向きな印象を受けるが、せんなき(仕方ない)うすむらさきの思い出からは後ろ向きな印象を受ける。
心は流動的なもので、朝にあおかったと思えば昼にはうすむらさきになり、夜にももいろに咲くこともある。斜面いっぱいに植えられた紫陽花が作るグラデーションは、人の心の多面性を表した天然のアート作品だ。在りし日の詩人の心には、どんな紫陽花畑が広がっていたのだろう。