暮らすことは生きること
「暮らしを生きる」
朝から1.8キロの金槌を振り振り、福木の皮を剥いたり、整地のために木や土たちと向き合う日々。思えば5ヶ月前に声が出なくなり、手が動かなくなったところから、少しずつの復活。リハビリ中の身体にはなかなかな仕事で、沖縄の暖かさと柔らかさで緩んでいる私は、お昼くらいになるとドーッと眠くなる。精神的疲労で眠れなくなることに比べると、肉体的にへとへとになって眠れるのはとてもとても幸せなことだと思う。
今、私たちは火災で拠点を失い、突然今までやってきたことがストップして、改めて、これから「何をしてゆくのか」を見つめている。それは自然と「今まで何をしてきたのか」と向き合うことにもなっている。
「答え」らしきものは無数にあるのだろうけれど、一つ見つかった答えは「暮らしを生きる」ということ。それがここ数年の私が研究したいことだったのだろうと思う。
感性がすり減っていく生活システム
海外生活から帰国した直後、五泉の里山に暮らす前の2年間くらい新潟の「下町」という感じの街に暮らしたことがあった。その時初めて車の免許を取った。マンションに暮らし、振り付けやダンスの指導の仕事をするために車に乗って出かけて、直売所やスーパー、ネットでできる限り安心な食材を買って、オール電化だったので電気の熱でご飯を作って食べて、お風呂を沸かして、寝て。空いた時間に作品制作をして。「娯楽」や「遊び」の時間をとって・・・そんな暮らしをしていた。
海外で旅芸人としてサバイブした暮らしから帰ってきた私には、その暮らしに何か違和感があった。その違和感はなんだったんだろうと振り返ってみると、仕事と暮らしが切り離された社会の流れに組み込まれていく感じがしたからだったのだろうと思う。街全体に、「生きるために仕事をしている」ような感じがあって、それに向かって作られたシステムに乗っかって、自分が目指しているのではないところにドーッと流されて行っているような感覚。「このままここにいて私の感性は大丈夫だろうか?」そんな不安の中でバランスをとっていた。
仕事が遊びになる真剣な暮らし
新潟の里山に移住して、畑をし、薪で暮らすようになると、暮らしが仕事になった。田舎暮らしはとにかく忙しいことは否めないのだけれど、暮らしが真剣勝負な遊びになった。薪を手に入れるために人と出会っていく。畑を耕すための道具を調べて手に入れていく。お迎えさんが助けてくれる。集落の中での繋がりが少しずつできていく。太陽や風の向き、熱の流れを感じながら、お家を改装していく。そのために少しずつ、木の特性や素材の特性を知っていく。一畝一畝、開墾して耕していく。やり方を考える。試してみる。
ちょっと疲れながらもなんとか維持する。娯楽は庭作り。「食べる」のにそんなに関係のないお花やハーブ達をいかに育てるかが畑仕事や大工仕事の間の贅沢。ほとんどそこまで手が回らないほどに忙しい。
そんなふうに、暮らしを回していく中で自然と対話することになる。自然の中で発見したことが自分の一部となる。感じる力が少しずつ深まっていく。風、土、火、水、光・・・エレメントの動きをありありと観て感じるようになる。見る力や聴く力が暮らしの中で育っていく。
開いた感性での新しい暮らし作り
そんな暮らしを5年間ほど五泉で繰り広げていて、それが全て無くなり、幸運なことに「まったく1から、もう一度自分たちの生きる場所、暮らしを作り出さなければならない」という状況にいる。
開いた感性でそれにもう一度そこに向かい合えるということは本当に貴重で面白い。都会暮らしで鈍った感性でスタートしていたところとは見える景色の解像度が全然違う。5年間の里山暮らしを通して季節を通して、土地と繋がることや、集落に入って地域の人と関係性を作っていくことの難しさや大切さを経験したところで、もう一度、暮らし作り、活動の拠点作りを始められることは、自分たちに今までとは全く違う価値を生み出してくれる。
しかも沖縄という土地を選んだ流れの中で、これまで向き合ってきた雪国とは全く違う、動植物、土壌、季節、水の流れ、宗教観、歴史と出会うことになり、私は赤ちゃんのように無知な存在として、毎日驚いていて、新しく世界を発見している。
生きた暮らしの中での子育て
子どももその中で育つから、火や風、土や植物、木の特性を感じる力が自然と身に付く。暮らしが遊びになり、暮らしの中で技術がついてくる。子どもなりに技術が深まっていく中で、感性や「調和」の感覚が育まれていく。子供を見ていると、暮らしの中から本当にたくさんのことを学んでいるなと感動する。自分も学ぶ立場にあるから尚更、子供の成長がよく見える。
感覚が開いてきたときに初めて、都会暮らしの中で自分が「なるべく感じないようにして生きる」をしなければ成立しない環境に暮らしていたことに気がつく。車のクラクションや走る音、店内で混じり合うBGMや宣伝の声。意識を向けなくとも香ってくるほどに強すぎる科学香料の匂い。大きすぎてはっきりしすぎているコマーシャルの音。全ては特に意識を向けなくても、ぼーっとしているだけで潜在意識の中に刷り込まれていくほどに強烈な情報ばかりだ。
五感を開く暮らし
暮らしの中で私たちはより深く「生きる」ことができる。
「生きる」ことは「五感」がしっかりと開いて機能している状態。
よく聴いて、よく観て、よく嗅いで、よく触って、深く感じている状態。
その「五感を開いた」状態で生きることが、本当に「生きる」ことのベースになるのだと思う。
ヨガや瞑想で練習しているのは、この五感をしっかりと開いた状態で静かにいるということ。そうしてより細かなところを深く感じてみること。その先に起こることを体験すること。
そしてこれは本来、暮らしの中で自然と育まれていくことなのだと、暮らしを通して思う。
「暮らし」が「生きる」ことそのものである世界が広がっていきますように。
あなたの暮らしから生まれる「調和」が世界を飲み込んでいきますように。
・新潟県の里山でヨガとアートのセンターとオーガニックショップを営んでいましたが、2021年5月に火災で全焼。沖縄のヤンバルに移住し、活動を再開しようと拠点作りから、動き始めています。これからどんなふうに、何をしていくのか。内側を見つめながら丁寧に動いていくので、見守っていただけると嬉しいです。私たちのサポートに繋がる、オンラインでのコースや草木染めヨガマットの購入などの情報はこちらから。私たちが提供するものを通して、参加してくれる方と共に優しい世界作りの一歩を進めて行けたら嬉しいです。
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