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これから続けるラブレター


書いてみようと思ったきっかけは、とある子育てアプリの記事をふと思い出した事から。それは2年前の記事で、検索してもうろ覚えで中々たどり着けなかった。


現在私は、体調不良により仕事を休職中。体調不良というとちょっと違うかもしれない。私は今2人目を妊娠中で、いわゆるツワリが酷くてお休み中。

これだけ聞くと とても幸せ真っ只中!主人もまだ3才の息子もとても私を気遣ってくれるし、もちろん私はとっても幸せだ。

ただ、私のお腹の中には赤ちゃんともう一つ 体には必要ないモノが同居している。それは腎ガン。幸いにも発見が早く、ステージは1。転移もみられず盲腸のように手術で取ってしまえば、定期的な検査はしないといけないものの特に問題はないとの事。手術の日も決まって、さぁ、後はガンを切り取るだけ!!という矢先に妊娠が発覚。私の体の中には、幸せの塊とそうでないモノとが共存している。急激に大きくなるタイプのガンではないので、何事もなければ無事出産した後に手術となる予定。でももし、出産前に何かがきっかけで急にガンが大きくなるような事があったら?その時は、命の選択をしなければならない。


私は楽観的。
ガンもそんなすぐに大きくなるものではないし、赤ちゃんもきっとタイミングを分かって来てくれたはず。歳も40近い。ガン手術をして、その経過を見て…とあれこれしてたらあっと言う間に今よりも更に妊娠が難しいお年頃になっていたはずだから。
そして たまたまガンが見つかった時も、別の病気で入院する事になり、その時の検査で分かった。とても言いにくそうにしている担当医の先生とは裏腹に、「私ラッキー!こんな早期に見付けてもらえたなんて!病気になったのもこの為か!」と思っていたほど。

でもそんな私でも、いつかは死ぬ。

それが遅かれ早かれ、どんな人にも最期は必ず来る。私が私として生き抜くことが出来るのは、この人生たった一度きりだ。

そう思っていた時に、あの記事を思い出した。水を飲んでも吐き気を催すほど酷いツワリの中で、どうしてもあの記事を、あの記事を書いた人の今を、見てみたかった。
その人は写真家の男性で私と同い年の今年38才。2018年に血液のガンで余命3年と宣告され、残された時間の中で そのアプリでは奥さんや まだ幼い息子さんに向けたラブレターをいくつも投稿していた。それはとても温かい写真と文章で、2年前ガンとは無縁だった私でも色んな想いを巡らせて涙が零れるような記事だった。その記事を何とか見つけだして、その写真家の方を追いかけてこのnoteにたどり着いた。

このnoteの中を色々見てまわっていると、 #自分にとって大切なこと        という募集が目にとまった。またnoteの使い方の所には
「名文や超大作を仕上げようとして手が止まってしまうくらいなら、駄文でも短文でも悪ふざけでも、とにかく気軽に投稿しましょう。」という一文に、心を突き動かされた。

私も言葉で残さなきゃ。

これが私の初めての投稿。TwitterやInstagramのアプリは一応取っている。でも自分から発信する事はない。発信するには私にはハードルが高すぎる。でも、このnoteでなら 何か日記のように、私の大切な人達への想いが残せるのではないかと思って今書いている。

今すぐ どうこう という病気ではないが、ちゃんと“最期”というものに向き合わせてくれるきっかけを作ってくれた。んー…。ちょっと違うか。“生きる”という事に向き合わせてくれた、という方がしっくりくる。
ガンが発覚したお陰で、主人と2人目についてちゃんと話し合う事もできた。子供を育てるにはお金も体力もいる。しかも年齢的にも赤ちゃんが無事に産まれてきてくれるかも分からない。だから主人は元々2人目は望んでいなかった。それに薄々気付いていた私は、出来たら出来た時、出来なかったら出来なかった時、とちゃんと話し合おうともせずに そっと運に任せようとしていた。自分の体の中にガンがあると知って、自分がどう生きたいのか?何を残せるのか?と考えたと時に、「いずれ私も主人も死ぬ。その時に、今居るこの子を一人で残して逝けない。何かあった時、この子一人に何もかも背負わせる訳にはいかない。共に支えあったり相談しあえる仲間(兄弟妹)を作ってあげないと!」と強く思った。
きっと普通は逆なんだろう。職場の上司もそうだったから。上司も以前ガン手術を受けている。私よりももっと命に関わるガンだったが、早めに手術できたお陰で一命を取り留めた。その人にも幼い男の子が一人いて、ガンだと分かった時に彼女が思った事は「この子が一人にならないように私がしっかり生き延びないと!」だった。だから彼女は2人目を諦めて、自分が子供と少しでも長く過ごせる道を選択した。
それもスゴくよく解る。とてもとても大事なこと。ただ、その選択が私にとっての一番ではなかった。私は自分が動けなくなった後、居なくなってからの事を考えてたから。
主人にとってはとても迷惑な話だと思う。2人目も無事に産まれて順調そうに見えたのに、何かの拍子にガンが悪化して私がぽっくりあの世に逝ってしまったら、幼い子供2人を抱えてシングルファーザーだ。
けれど、主人は私の気持ちを聞いてちゃんと受け入れてくれた。そうやって主人も私も一緒に2人目を望んだタイミングでお腹の子は来てくれた。そういう意味ではガンも捨てたもんじゃない。私にとっても、私たち家族にとっても、このガンという経験が必要だったんだと思う。


だから余計にこの投稿をするきっかけになった記事をどうしても読みたかった。彼は余命宣告をされて、日々をどう思って過ごしているのか知りたかったから。どんな言葉を奥さんや息子さんに綴っているのか知りたかったから。読んでみて、改めて強く思った。


ちゃんと言葉で伝えなきゃ。


私は元々、「言わなくても察してよ!」タイプ(笑) 世の中には私と同じタイプの人はとても多いと思う。きっとそういうタイプの人は、その人自身も相手の気持ちを察する事が得意なんだと思う。だから相手にもそれを求めてしまう。私がそんな昔の自分から抜け出したのは、今の職場に出逢えたお陰。色んな人達に出逢える職場。だから、繊細さんもいれば鈍感さんもいる。鈍感さんはもちろんだけど、繊細さんにもちゃんと言葉で思っていることを伝えてあげなきゃ、逆に色々深読みし過ぎてドつぼにハマり、マイナスの方向へ考えを巡らせがち。腹を割って話せば、変な勘違いはなくなるし、お互いどう思っていたかを深く理解できる。そういう経験を今の職場ではたくさんさせてもらった。
だから、今の私は「言わなきゃ何にも分からないでしょ!」タイプに変われた。
察してよ!タイプの時の私は、自分の気持ちを言葉にするのがとても難しかった。だから、自分の気持ちを伝えた事がほとんど無い。入社当時はよく上司に「何を考えてるのか分からない。」と言われていた。極度の人見知り…というか幼い頃から人間不信だった私は、大事な場面でも
「ありがとう」や「ごめんなさい」
を言い損ねてきた。今ではとても簡単に言えるのに、素直じゃなかった私はそんな言葉すら言えない自分も大嫌いだったし、言えなかったあの時を今でも後悔している。もう幼稚園や小中高とかの話。相手も もうそんな事は忘れているだろうけれど、今でも私は申し訳ない気持ちでいる。
そういう経験があるからこその、「ちゃんと言葉で伝えなきゃ」だ。


前にも書いたように、遅かれ早かれいつかは終わりが来る。例え生まれ変われたとしても、今の自分で生きれるのは今世だけ。たった一度きりの人生ならば、決して後悔はしたくない。

だから伝えたいと思った。あの記事のように。
ただ普通に過ぎていく日々が、どれだけ有り難いと感じれるようになったか。
あなたが傍に居てくれるだけで、私がどれだけ救われたか。
君が毎日見せてくれるその色んな表情が、どれだけ愛おしいか。
伝えなきゃ気付いてもらえない。言葉にしないと残っていかない。残した言葉はすべて本心です。良い事も悪い事もすべて書こうと思ってます。

これが私にとって大切なこと、
伝える。

これをいつか見返した時に、あなたや君たちにとっての支えになってればいいなと思います。

駄文でもムダに長い文章でも、私にとっては伝えたい事。
これは始まり。これから続くラブレターの。


#自分にとって大切なこと

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