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雑多な写真たち:Nikon Z 50

撮影した場所も日時も対象もバラバラ。
そういう写真を並べるのも悪くない。


Nikon Z 50+AI Micro-Nikkor 55mm f/2.8S

枯れ落ちたのか剪定された残りなのか、垣根に横たわる枝。
誰も注目しないだろう枝。
周囲には同じような枝が無数に在る。

この枝にアートが感じられたらのなら、それは良い被写体を収めた事になるのだろう。
もしくは、写真になる事で枝が作品に変わるのかもしれない。



Nikon Z 50+AI Micro-Nikkor 55mm f/2.8S

鯱?なのだろうか。
詳しい事はわからない。
見上げた屋根の上にある物体。

木の隙間からそれを臨む行為、見ている、その視線。
もう数歩前に出れば木の隙間を抜ける。
抜ける必要はない。
隙間から見える正面ではない鯱が良い。



Nikon Z 50+AI Micro-Nikkor 55mm f/2.8S

長い時間を生きた木の根元に差し込む光の美しさに惹かれ、地中に張られたその木の根の上で撮っている。

既にその木の手中にある。
静かに生きる木の縄張りの中で撮らせてもらっているに過ぎない。

大きく張った根に生命を感じ、木漏れ日がそれを視覚化する。



Nikon Z 50+NIKKOR Z 16-50mm f/3.5-6.3 VR

完全に枝だけにはなっていない。
わずかに残ってはいるが、落ちて行く運命は変えることができない葉。
葉がなければただの枝ぶり。

多くもなく、少なくもなく残された葉があるからこそ、これから落ちゆく葉の結末も伺える。
そしてそこに物語が生まれる。

落ちる葉なのか、訪れるであろう冬の季節なのか。
どちらでもよい。
この時、残りわずかな葉があるという事実。



Nikon Z 50+NIKKOR Z 16-50mm f/3.5-6.3 VR

足元には木の実が落ちている。
誰かが配置したのか帽子の部分が揃えて置かれている。
しかも二つ。
もう一つは誰のものなのか。
帽子をかぶっていない木の実があることから、忘れて出掛けてしまったのようにも見える。

周囲には、旅の途中で息絶えた木の実たち。
彼等が生き抜くには厳しい世界であることを物語っている。



Nikon Z 50+NIKKOR Z 16-50mm f/3.5-6.3 VR

敷き詰められた石の間に生える苔。
隙間を埋めるような姿が美しい。

進める道を進む。
どう進むかは自由だが道は限られている。
いや、選択肢は限られている。
石の隙間が道のようになっているだけで苔にとっては道ではなく生存圏。

生えられるところにしか生えない。
生えられればどこでも生える。
わずかな好機を活かして石を覆うように生えるのだろうか。



Nikon Z 50+NIKKOR Z 16-50mm f/3.5-6.3 VR

街灯が灯り夜の訪れを予告する。
頭上に広がる木の枝は規則性がありつつも自由。
どこへ向かうのか。

空を覆うようで隙間が多く覆いきれない。
空の余白を多くとったなら、すっきりとした景色になる。
そうではなく、枝の隙間からの街灯や余白を埋める枝ぶりがこのシーンを構成している。
ここになくてはならない存在。



その場その場で感じることが違い、撮る絵も異なる。
撮る時もそうだが、撮った後もその時について考える。
写真という瞬間が手元に残ることで、より深くその時に向き合える。さらに、撮影中には気が付かなかった事にも出会える。
瞬間を収めた動かない写真だからこそだろう。


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