ハーマンズ・ハーミッツを語ろうよ 第3回【ハートがドキドキ(Can't you hear my heartbeat)】
デビューシングルが成功裏に終わったバンドが、第2作にどんな作品を持ってくるかは当たり前だけど難しい問題となる。一番無難なのは、前作のイメージを踏襲して守りに入ることだけど、それが前作以上に売れるレコードとなることはまあ、希である。ある程度のヒットは保障されるにしても。『朝からゴキゲン』がゴールドディスクとなったハーマンズ・ハーミッツはどうだったか? 実はこの曲をレコーディングした際、バンドはもう一曲ゴフィン&キング作品を取り上げている。
1964年11月にリリースされた『ショウ・ミー・ガール』がそれで、これは『朝からゴキゲン』とは異なりゴフィン&キングからハーマンズ・ハーミッツのために提供されたオリジナル楽曲。前作のノンビリした雰囲気と曲調と殆ど一緒と言ってもいい、いわば続編的な雰囲気を持っている。あたしゃ好きですがイギリスでは25位どまりの中ヒットに終わったのはあまりに前作に酷似していたからだろう。
カール・グリーンは「アホのマネージャーが安直すぎる選択をしやがった」と言う。いずれにしても、イギリスでの2枚目は無難な結果にとどまった。
ただ、イギリス市場(および英連邦圏)より遥かに大きな商圏であるアメリカでは同じような結果ではいけない。『ショウ・ミー・ガール』では役不足なのだ。
1964年暮れの時点で、ハーマンズ・ハーミッツはアメリカではまだ、大規模なプロモーションをかけるに至っていない。デビュー間もない彼らはイギリス国内のツアーとクリスマスミュージカルの出演に全力だった。
それに、ピーター・ヌーンが17歳になるこの年の11月を過ぎないことには、アメリカに渡っての本格的な活動は彼の年齢的にやや困難なところもあった。『朝からゴキゲン』は大きな宣伝もなくヒットしたが、『ショウ・ミー・ガール』もそうなるとは誰にも断言できないのだ。結局、『ショウ・ミー・ガール』のアメリカリリースは見送られる。
満を持して渡米するタイミングは1965年になってから。その時にファンを魅了するだけの強力なシングルが必要だった。
何せ1964年の終わり頃には、既にデビュー曲はそこそこ成功したのに後が続かないイギリスのグループがチラホラ出始めている。スウィンギング・ブルー・ジーンズとかナッシュビル・ティーンズとかね。アマチュア時代にカバーしていたR&BやR&Rのカバーがそのまま売れた時代はあっという間に終わっていた。1965年を目の前にして、自分たちのフェイヴに加えていかにオリジナルの楽曲を確保するかがあらゆるバンドの課題だった。
では、そんな中、ハーマンズ・ハーミッツはどうするべきか?
彼らは歌詞世界とバンドイメージは変える必要はなかった。既にイギリスツアーで『ハーマニア』と呼ばれる熱烈なファンを抱えていた彼らのサウンドは、『ハッピーサウンド』と称される健康的な親しみやすい雰囲気をストロングポイントとしていた。
おまけにピーター・ヌーンはケネディに似ている。暗殺事件からまだ1年しか経っていないアメリカでは、大統領にどこか似た愛嬌ある男の子がボーカルのバンドの需要は半端なく大きかった。
すると答えは「前作の雰囲気を踏襲しつつ更にロックビートを加えた楽曲のリリース」ということになる。
アメリカでの2枚目『ハートがドキドキ』はまさにそれだった。1965年1月、ハーマンズ・ハーミッツは全米放送の音楽番組『Shindig!』への出演を無事に終えると、アメリカでのプロモーションを本格的に開始した。 この曲は結局、2位まで昇る大ヒットとなり、ハーマンズ・ハーミッツは一躍ビートルズやデイブ・クラーク・ファイブに比肩するイギリス発の大人気グループへと駆け登る。
【ハートがドキドキ(Can't You Hear My Heartbeat)】
元々はアメリカのガールズバンドであるゴールディー&ジンジャーブレッズがイギリス滞在中、アイヴィー・リーグのジョン・カーターとケン・ルイスに提供された曲で、1964年の暮れにイギリスで25位のヒット。
一方のハーマンズ・ハーミッツは素早くこの曲を見つけることに成功した。12月にレコーディングし、1月にアメリカで発売。
イギリスでは前述のとおり『ショウ・ミー・ガール』をリリースしていたからシングル発売はしなかった。一方でハーマンズ・ハーミッツのカバーが大ヒットしたのでジンジャーブレッズは母国でのブレイクのタイミングを失ってしまった。
間奏の軽快な3連ストロークにはロックファンも満足。
〜君がママにあって欲しいと言った時、全て上手くいくんだって分かったんだよね♪〜
嗚呼、道を踏み外さない世界観。まったく、おめでとうございます。一方のジンジャーブレッズ盤は悪くはないけど物足りなさがどうしても残るよね
【アイ・ノウ・ホワイ(I Know Why)】
哀感のあるギター・ソロが特徴のデレク・レケンビーとチャーリー・シルヴァーマンの2人によるナンバー。B面だが、イギリスでは『ショウ・ミー・ガール』のそれとして既に発表ずみ。初めてバンドメンバーの名前がクレジットされた一曲でもある。『ユア・ハンド・イン・マイン』もそうだけど、典型的なマージー・ビート。サビでのドサドサとしたバリーのドラムが愛おしい。