アナログ派の愉しみ/映画◎ポン・ジュノ監督『グエムル 漢江の怪物』
ゴジラに匹敵する
怪獣をついに目撃した!
ゴジラに匹敵する怪獣をついに目撃した! ポン・ジュノ監督の『グエムル 漢江の怪物』(2006年)だ。ソウルの中心部を流れる大河・漢江(ハンガン)から、その怪獣グエムルは出現する。在韓米軍が大量の化学兵器を流出させたのが、生態系に突然変異をもたらしたらしい。トカゲに似た巨体を機敏にくねらせ、昼下がりの河川敷で憩っていた人々を片っ端から襲ってはむさぼり食うグエムル。売店を営む一家の中学生の娘もさらわれてしまい、名優ソン・ガンホの演じるだらしない父親と、叔父、叔母、祖父が救出に立ち上がった。
そう、これは怪獣映画の意匠をまとったホームドラマなのだ。それぞれ身勝手に暮らしていた市井のしがない家族が、一人娘の危機をきっかけとして、仲たがいしながらも結束する。もはや世間の思惑など意に介さず、警察や軍隊の制止も振り切って、自分たちだけを頼りに血みどろの闘いを繰り広げ、グエルムの前に敗北を重ねながらも屈することなく、最後はおそらく大方の予想を裏切るだろう、驚愕のクライマックスへと雪崩れ込んでいった先に、ほのかな家族再生の兆しを見る……。
韓国映画にとって最大のテーマは家族らしい。いや、日本映画だって、近年話題となった『万引き家族』や『未来のミライ』を例に挙げるまでもなく、つねに家族を主要なテーマにしてきた。両国は相変わらず政治・外交では険悪な対立関係から抜け出せないものの、それを尻目に大衆文化の分野では盛んに交感しあってきたのは、こうした家族というテーマを根底に共有しているからではないか。大上段に構えて言えば、ともに東アジアの儒教文化圏に位置して1500年にもおよぶ歴史がその背景にあると思うのだが、どうだろう。
父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きことその中に在り。
『論語』子路篇に収録された有名なテーゼだ。ある殿さまが、わが郷土には、自分の父親が羊を盗んだのを訴え出た正直者がいる、と自慢したのに対して、孔子がこう応じたのだ。父は子の罪を隠し、子は父の罪を隠すことこそ、本来の正直者である、と。
これは何も、社会のルールよりも家族の強固なつながりのほうを優先すべきだと言っているわけではあるまい。むしろ逆に、家族とはそんな強固なつながりではなく、ともすると砂のようにバラバラになりかねないから、たとえ社会のルールに反してもおたがいが懸命になって確かめあい、絆を取り戻すことによってのみ、かろうじて維持できるのだと諭しているのではないだろうか。それを寓話風に示したこの映画にしても、およそヨーロッパやアメリカの個人主義の文化圏では成り立つはずがない。
ポン・ジュノ監督はつぎには、ゴジラやグエムルよりもさらにパワフルな、「母親」という怪獣を使って、いっそう過激にこのテーマを追求していく(『母なる証明』2009年)。