アナログ派の愉しみ/音楽◎テンシュテット指揮『ワーグナー管弦楽曲集』

何が起きるかわからないから
コンサートなのだ


かつてドイツが現在の朝鮮半島のようにふたつの国に分かれていたころ、東ドイツ(ドイツ民主共和国)に出現した指揮者、クラウス・テンシュテットはクレイジーと呼びたくなるほどの個性の持ち主だった。そう言えば、クレイジーな指揮者として思い浮かぶ、もうひとりのヘルベルト・ケーゲルも東ドイツ出身で、こうしたタイプが西ドイツ(ドイツ連邦共和国)には見当たらないことを考えると、やはり政治体制の違いによって生みだされた存在だったのかもしれない。

 
テンシュテットは1926年メルゼブルク生まれ、ライプツィヒ音楽院に学び、第二次世界大戦後に東ドイツが成立してからで本格的な活動に入り、シュヴェーリン・メクレンブルク国立歌劇場の音楽監督などをつとめたが、1971年に亡命する。「フルトヴェングラーの再来」と騒がれて欧米各地のオーケストラに客演し、ベルリン・フィルやウィーン・フィルといった名門の指揮台にも立ったものの、長続きせずに決裂するのがつねだった。結局、ヨーロッパ大陸を離れてロンドン・フィルの音楽監督に収まったが、間もなく喉頭癌が見つかって放射線治療を受けながらの活動を強いられ、1998年に71歳で他界した。もう一方のケーゲルは1920年ドレスデン生まれ、第二次世界大戦では東部戦線へ出征して重傷を負ったのち、戦後に指揮活動をスタートさせると、ライプツィヒ放送交響楽団、ドレスデン・フィルの首席指揮者などを歴任して楽壇に重きをなしながら、1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、翌年、東西ドイツの再統一を目の当たりにした直後、70歳の秋にピストル自殺を遂げてしまう。

 
こうして両者の略歴を並べると、祖国をめぐって正反対の人生行路を辿ったように見えるけれど、社会主義という政治体制のもとで芸術家としてのあり方を厳しく問われたことでは同じだし、それ以上に、どちらもドイツ・オーストリアの音楽を中心としながら、楽曲が孕むどす黒いエネルギーを炙りだす演奏態度も共通していたと思う。ときには人間の心の闇を凝視するかのごとく、血も涙もないグロテスクな表現となって、わたしは背筋の凍りついた覚えがある。そんな両者だが、ケーゲルは夾雑物の入り込まないセッション録音のほうが凄味を感じさせるのに対して、テンシュテットは観客を前にした一期一会のライヴの記録のほうが、出来不出来の差は大きいものの、ときに途方もない指揮芸術の真価を伝えてきたと言えるだろう。

 
『ワーグナー管弦楽曲集』と題されたDVDは、すでに癌と闘病中だったテンシュテットがロンドン・フィルを率いて1988年10月に来日し、東京・赤坂のサントリー・ホールで行ったコンサートをNHKが収録したものだ。リヒャルト・ワーグナーの歌劇・楽劇からオーケストラ曲を抜粋したプログラムで、まず『タンホイザー』の「序曲とヴェヌスベルクの音楽」。かれのタクトは、カトリックの神聖な禁欲主義とヴェヌスベルク(ヴィーナスの山。女性の「恥丘」も意味するらしい)の官能の世界との対立を濃い隈取りで描きあげ、つぎの『リエンツィ』序曲でいっそう不穏な熱を帯びていく。

 
休憩をはさんで、ふたたびステージに姿を現したテンシュテットは顔が真っ赤に上気して興奮しているのがわかる。「石をぶつけられたコウノトリ」とは、長身のかれが手足をぎくしゃくと動かす指揮ぶりを揶揄する言葉だが、そんなタクトに導かれて『神々の黄昏』から「夜明けとジークフリートのラインへの旅」では音楽のマグマがついに堰を切って溢れだす。そして、続く「ジークフリートの葬送行進曲」で前代未聞のアクシデントが発生。神と人間が合作した英雄の非業の死を追うのに没頭して、もはや何も目に入らなかったのか、かれの激しく振りまわした腕が譜面台を弾き飛ばしてしまう。以降は譜面なしの指揮を余儀なくされたわけだが、さらにカツが入ったオーケストラは渾身から慟哭の叫びを挙げたのだ。アクシデントはまだ終わらない。テンシュテットはタクトを手にしたままいったん退場し、すぐにまた戻ったときには譜面台はもとの位置に立てられていたものの、今度は自分がタクトを忘れてきたことに気づく。すると、おもむろに両手を高々と振り上げて『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の第一幕への前奏曲をリードしたのだが、オーケストラのメンバーもよほど度肝を抜かれたのだろう、金管や木管の奏者は必死の形相でコンサートマスターの動きを確かめているのがわかる。こうして、ぎりぎりの緊張が漲るなかで音楽のマグマは凄まじい奔流をなしていった……。

 
なるほど、いつもこんな演奏をやらされたらプレイヤーは身がもたないだろう。名門オーケストラとすぐさま決裂に至ったのも理解できる気がする。だが、われわれにとっては何が起きるかわからないからコンサートなのだ。ただ予定調和どおり進むイベントだとしたら、そもそも芸術の名に値するだろうか? そんなことを改めて考えさせてくれる映像記録なのである。


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