アナログ派の愉しみ/音楽◎ベートーヴェン作曲『フィデリオ』

生涯独身だった
楽聖が夢見た夫婦像とは


ずいぶん以前、東京・池袋で実験映画ばかりを上映するイベントに参加した。おおかたは意味不明のひとりよがりなものだったけれど、なかにひとつ、非常に印象に残った作品があった。これを観たらだれでも眠くなるという触れ込みの映画で、一見、ふつうのラブストーリーなのだが、男女のカップルが駅の改札口で待ち合わせて喫茶店に行っておしゃべりして……と、こちらが当たり前に想像するとおりそのままに、しかもじれったくなるほどのテンポで運んでいくという仕掛け。効果はテキメンで、わたしも気づいたときには高いびきをかいていた。

 
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲の『フィデリオ』を論じるにあたって、そんな昔日のエピソードを引っ張りだしたのはもとより失礼千万な話だ。が、わたしはこの楽聖が完成させた唯一のオペラについてどこかしら、くだんの実験映画につながるものを感じてしまうのである。

 
16世紀末のスペイン、セヴィリア郊外の刑務所が舞台。牢番ロッコのもとで見習いの若者フィデリオが献身的に働いていた。その正体は政治犯フロレスタンの妻レオノーレで、刑務所長ピツァロの手によって幽閉されている夫を助けだすため、彼女は男のなりをしてひそかに取り入ったという次第。もっとも、このレオノーレ役はレッキとしたソプラノ歌手がうたうのだから、いくら変装しているとはいえ騙されるのは舞台上の登場人物たちだけで、客席の観衆にとってはなんの意外性もなく、妻が夫の救出にやってきたのは自明の理であり、あとは想像どおりの救出劇が全2幕、約2時間をかけて進行していくことになる……。

 
かくしてレオノーレがついに地下牢に辿りつき、ピツァロの前に立ちはだかって名乗りをあげ、フロレスタンと抱擁を交わす感動の場面が訪れるころには、すでに観客を睡魔が襲っていたりする。それを打ち破るためだろう、グスタフ・マーラーはウィーン宮廷歌劇場(現・ウィーン国立歌劇場)の指揮者だった当時、この個所でドラマをいったん断ち切って、ベートーヴェンの旧作『レオノーレ序曲第3番』を差し挟み、舞台そっちのけでえんえん13分間にもおよぶ威勢のいいオーケストラ演奏をやってのけ、以降、多くの指揮者がこれを踏襲してきた。わたしも体験したけれど、観客一同が最も盛大な拍手喝采を送るのはこのときではないだろうか。

 
フィナーレでは、突如、水戸黄門よろしく法務大臣ドン・フェルナンドが現れて、悪漢ピツァロを罰し、親友フロレスタンの無事を喜び、その妻レオノーレの行動を寿ぐ。おもむろにつぎのような合唱が荘厳に響きわたるのだ。

 
 良き妻を得たる者は
 今こそ高らかに声を合わせよう!
 夫を救った
 けなげな女性をたたえよう!
 (福原信夫訳)

 
ことここに至って、ようやくわれわれは悟るのである。確かに舞台上では想像したとおりに予定調和のドラマが運んだけれど、その行き着いた先にあったのはとうてい予定調和では済まされない、正面切っての夫婦愛のあり方が主題だったことに。みずからを振り返って、自分たち夫婦はイザとなったらおたがいこうして献身的に支えあえるのかどうか、もしそれが叶わなければ、じゃあ、なんのための夫婦なのか、と――。

 
こうした恐ろしい問いを突きつけてくるオペラはおそらく、ヨーロッパ音楽史上、ベートーヴェンが10年の歳月と心血を注いで完成させた『フィデリオ』が唯一のものだろう。天才モーツァルトにとって夫婦とはつねに浮気と背中合わせになった悩ましい関係だったし、巨人ワーグナーにとってはときに世界を破滅に導きかねない相克の場だった。ここに描かれたレオノーレとフロレスタンのふたりの姿は、生涯独身だった楽聖だからこそ夢見ることができた夫婦像だったのかもしれない。
 

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