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アナログ派の楽しみ/スペシャル◎桜田淳子の「櫻」

わたしが出版社で仕事をしていたころ、心に刻まれたエピソードをお伝えしたいと思います。もちろん、記憶にあるとおりに書くつもりですが、文章責任はすべて当方が負うものとご承知ください。また、敬称略とさせていただきます。

わたしは、テレビ番組『スター誕生!』が送りだした中学生のアイドル、森昌子、桜田淳子、山口百恵(デビュー順)の「花のトリオ」と同じ学年にあたり、それだけに当時、彼女たちの華やかな活躍ぶりをまぶしい思いで眺めました。のちにわたしが仕事で接する機会を持ったのは、このうち桜田だけです。

あれは確か1984年、おたがいが25歳のときだったでしょう。桜田が谷崎潤一郎原作の舞台『細雪』に初めて起用され、プロモーションの雑誌記事をつくるためのインタビュー取材を行ったのです。その日はマスコミ対応で占められていたらしく、指定先のシティホテルへカメラマンと時刻どおりに出かけると、部屋の前ではわたしと同様の立場の連中が列をなし、一社15分の持ち時間で出入りを繰り返しているのでした。

やがて順番が回ってきて、その場で自分がどんな質問をして、桜田がどんな回答をしたかは覚えていません。どのみち、こうしたシチュエーションに見合った月並みな質問に、月並みな回答だったでしょう。もっとも、こちらは一度のインタビューで済んだものの、彼女からすれば入れ代わり立ち代わりやってくる取材者にずっとひとりで応じなければならないわけで、芸能人の宿命とはいえ大変な忍耐力に感心しました。

ところが、です。もっと感心することが起きました。いや、感心どころじゃない、驚嘆と言ったほうがいいでしょう。インタビュー取材からしばらくして、桜田淳子そのひとから葉書が届いたのです。そこには手書きの文字で先日の取材に対する感謝の言葉が記されていたのですが、差出人の署名は桜田の「桜」が「櫻」となっていました。わたしも長い年月にインタビュー取材の仕事をずいぶん行いましたが、相手から礼状を頂戴したのは、あとにもさきにもこのときだけです。あの日、ホテルの部屋を訪れたマスコミ関係者は数十人いたはずですが、彼女は全員にこうした肉筆の葉書を送ったのでしょうか? のみならず、それまでも、それからも?? 一枚一枚に「櫻」の署名をして!

そのころ、桜田はテレビで秋田弁のおどけた振る舞いをしたり、ことさら蓮っ葉な役柄を演じたりして国民的な人気を博していましたが、以来、彼女の根っこにはこうした痛ましいほどのまじめさが宿っているのだと思うようになりました。あるいはまた、数年後に世間を騒がせた、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の信仰を公にして合同結婚式へ参加するという決断をしたのにも……。

ひとさまの人生に対して、わたしがとやかく論評するつもりはありません。ただ、ひとつだけ言うなら、いまこの年齢になってみると、痛ましいほどのまじめさとはわれわれが滅多に出会うことのない美徳だとつくづくわかるのです。


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