アナログ派の愉しみ/音楽◎マーラー作曲『交響曲第4番』
ミイラ取りが
ミイラになって
これを、ミイラ取りがミイラになった、と言えばいいのだろうか。
先だっての記事で、東ドイツ出身の指揮者、クラウス・テンシュテットとロンドン・フィルが来日して、1988年に行った東京公演の映像記録『ワーグナー管弦楽曲集』について書いたところ、お読みになった方から、そのソフトはどこで手に入るのか、と問い合わせをいただいた。あらためて調べてみると、かつてはふつうに流通していたものが現在では廃盤となり、かろうじてHMVオンラインショップに中古品が出ているのを見つけて質問者へ伝えたのだが、その過程で、わたしがまだ観ていないテンシュテットとボストン交響楽団の映像記録もすでに在庫僅少と知った。矢も楯もたまらず、ようやく我に返ったのは、注文したDVDが手元に届いてプレーヤーにかけようするときだった……。
曲目は、グスタフ・マーラーの『交響曲第4番』。1977年1月ボストンのコンサートで演奏されたもので、もうひとつのプログラム、モーツァルトの『ハフナー交響曲』とともにカラー映像で収録されている。当時のボストン交響楽団は小沢征爾の音楽監督のもとで大いに意気があがっていたし、東京公演より10年あまり前のテンシュテットのほうも、まだ癌との闘いはなく、50代に入ったばかりの指揮者として脂の乗りきった姿を目の当たりにして、わたしも自然と口元が綻んでしまう。とは言え、テンシュテットが勢いに任せて流すことなどあろうはずもなく、音符のひとつひとつにこだわり抜いて、とうていひと筋縄ではいかない演奏が繰り広げられていくのだ。
マーラーが1900年に完成した四番目の交響曲の主題は「天国」だ。実は、この前に手がけた『交響曲第3番』で、ドイツ民謡詩集『子供の不思議な角笛』から選んだ「我らは天上の喜び」をソプラノ歌手にうたわせようとしたところ、とても収まり切らず、あらためてその部分をフィナーレに据えた全四楽章の交響曲が構想されたという次第だ。したがって、マーラーの交響作品のなかでは最もコンパクトで(それでも1時間近くを要するが)、全体を覆う人懐こい曲想は、あたかもステンドグラス越しに天上の情景を眺めるような印象がある。もっとも、ことはそう単純ではなさそうで、このころマーラーは悲願のウィーン宮廷歌劇場の音楽監督のポストをわがものとするため、みずからユダヤ教からローマ・カトリックへの改宗を行っている。そんなかれにとっての「天国」は、ただ天使たちが無邪気に戯れる楽園といったイメージよりも、ずっと陰影を帯びていたろうことは想像に難くない。
のちにマーラー夫人となるアルマは、たまたま婚約期間中に『交響曲第4番』のウィーン初演に向けてのオーケストラ・リハーサルに立ち会って、その際の模様をつぎのように書き残している。
「マーラーはちょうどこの頃、神経症的な激情の高じていた時であり、その上、フィルハーモニーの一部の団員の執拗な抵抗ぶりから、オーケストラ全体に対して偏見を抱くようになっていたので、これらのリハーサルは私にも恐怖の発作を起こさせることがあった。彼は激怒し、足を踏みならした。彼は名指して特にきびしくつるし上げ、またオーケストラ全体を怒鳴りつけ、いやいや演奏させるような始末で、中にはリハーサルの最中に離席する者まで出る一幕もあった」(石井宏訳)
いやはや、「天国」の主題にはおよそ似つかわしくないありさまだ。もっとも、そもそも19世紀から20世紀への橋渡しとなったメルクマールの音楽を、もし指揮者が予定調和のやり方で済ませられるとしたらよほどオメデタイのではないか。
テンシュテットの場合も、冒頭こそ微笑みを浮かべていたものの、徐々に頬を上気させ、眼光がすわり、「石をぶつけられたコウノトリ」と評されたぎくしゃくした動きが激しくなるにつれて、音楽はただならぬうねりを帯びて奔流していく。そこには当然ながら、このアメリカ公演の6年前、祖国・東ドイツを亡命し西側に活動の場を求めて以来、かれが凝視してきた「天国」の実相が二重写しになっていたろう。最終楽章に至って、ソプラノ歌手のブリン=ジュルソンがうたう天真爛漫な「我らは天上の喜び」を導きながら、テンシュテットのタクトがふと、底知れぬ闇の肌寒さを伝えてくるのに、わたしはぞっとした。あたかもマーラーそのひとが指揮台に立っているかのように見えたのである……。