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家庭画報特別対談の感想文

 皆さんもうとっくに読まれましたよね?  ↓↓

トップ画は上の動画からお借りしました。

 家庭画報の発売日は仕事でして、帰りに買うつもりで本屋に寄ったんですが、店頭には通常版が3冊のみ。この日は朝から雨が降っていて客足は鈍いはず。通常版もプレミアムライト版も残っているはず。そー思っていたけど甘かった。選択の余地なく嵩張る通常版を買って帰宅。さっそく読み始めたんですが、読めない漢字、意味の分からない言葉が多くて話がすんなり入ってこない。この対談記事をスムーズに読めた人、尊敬します。

 まずは自分用メモ。調べたのは千日回峰行。検索すると2つ出てきます。叡山延暦寺の回峰行と金峯山修験本宗金峯山寺(きんぷせんしゅげんほんしゅうきんぷせんじ、と読むらしい)の回峰行。どちらも山の中を巡る修行で、今回対談された塩沼亮潤さん(以下、塩沼さん)が満行(修行を達成するって意味らしい)されたのは後者の方。修行内容を調べてみたけど「あー無理無理」ってなります。↓↓

 千日回峰行は1000日間連続して行うのではなく、大峰山の山開きである戸明け式の5月3日から戸閉め式前日の9月22日の間に行われます。4か月間行に入り、その後、年末までの4か月で衰弱した体を回復させ、年明けからまた4か月かけて行に向けての準備を整えます。
 回峰行の一日は午前0時前に起床、滝行から始まり、冷たい水で体を清め、金峰山寺を出発。暗く危険な道、丸太の橋、鎖場などの難所を提灯1つで歩き、午前8時半頃に山上ヶ岳の大峰山寺に到着。早い昼食を食べてから来た道を下り、午後3時半過ぎに金峯山寺蔵王堂に帰堂。距離にして往復約48kmを歩いた後、掃除・洗濯をして翌日の準備をします。
 回峰行の間、口にするのはおにぎりと水だけ、15時間かけて厳しい山道を歩き、睡眠時間は4〜5時間という荒行です。一旦行に入れば途中で止めることは許されず、まさに命がけの修行です。

以下のサイトから抜粋↓↓

 塩沼さんはこの回峰行を小学校5年でやりたいと思い、高校卒業の翌年に出家、31才で満行者となり、その翌年には断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける「四無行」も満行されてます。四無行の詳細はこちら。↓↓

読んでいて特殊部隊(←グリーンベレーとか)の訓練かと思っちゃいましたが、修行です。小5で回峰行を目指し、それを満行した後は更に過酷な四無行を目指す。なんだか羽生くんと同じ匂いがしますね。

 目標が大きければその道のりはしんどくて「なぜそれを目指すのか」を明確にしないとモチベーションが保てそーにありません。しんどいほど「なぜ」と自分に問いかけるのだとしたら、目標が大きいほど自分に向き合えるのかもしれない。その先に生きる意味があるのだとしたら、目標は大きい方が良いのかも…なんですが、小さな目標であっても生きる意味を見出す事は可能だと思ってます。生活や家族のために仕事を頑張るとか家事を頑張るとか…ただ難易度が高くないので「なぜ」と自問する事なくこなせてしまいそう。極限状態とは真逆の日常生活の中で自分と向き合い自問し続けるのはなかなか難しい。よほど心がけなければ日常生活に流されちゃいますよね。
 例えば五輪王者でも残念な人はいるし、市井の人の中にも人格者はいますよね。人格は実績に表れるのではなく、そこに至るまでにどう向き合ってきたかに表れるのだと思う。もちろん塩沼さんや羽生くんには素晴らしい実績があるんだけど、お2人が人格者になり得たのは目標に対する向き合い方、心の在り様が素晴らしかったからだと思うよ。(←北京落ちが多い理由はこれだと思ってる)

 対談記事を読んだ感想を書こうと思ったけど、真理の追求?自分磨き?考え始めたら全然書けなかった。たぶん思考の次元が違いすぎる。生きる意味?生まれちゃったんだから生きるしかないじゃん。役目を全うするまでは死ねないじゃん。私のレベルはこんな感じ。利他の精神にはほど遠いけど、生きる事をやめない限り何かしら発見できると思う。たぶん。それに羽生くんのスケートをリアルタイムで見れるのだから生きるって満更でもないと思う。いや、生きててヨカッタ!

 スケートで熱狂し、妄想でキュンキュンし、対談記事から哲学に浸る。羽生くんは「一粒で何度も美味しい」みたいな人ですよね。飽きっぽい私が8年も沼にハマってる理由はそれだと思う。これからも活躍を楽しみにします。

#読書感想文

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