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商品の価値における一尺度の貨幣と貴金属などについて考える②〜経済学原理第二章第五節〜

 本書の経済学原理の初版は1820年で、リカードが比較優位説を唱えたのはこの3年前である。私が思うにマルサスは、リカードの比較優位説やスミスの絶対優位説に基づいた貿易自由化政策に反対はしたが、それらの説のすべてを否定したワケではなかろう。マルサスは、自国が比較的に高い労働でなければ作られない貨物を得るためには、それを自分たちで作るよりも良い方法を述べている。つまり、自分たちが比較的に安い労働で作れる貨物を輸出して、そうでない貨物と交換する形で輸入すればいいと考えた。それは比較優位や絶対優位の学説に繫がるともいえるので、マルサスもリカードの貿易論をすべて否定しているとは言い難い。この節では歴史的に重要な記述があって、イングランドとインドとで行われる貿易では、取引される各々の商品にかかる労働量は大きな開きがある。具体的にいうと、イングランドで1日分の労働量で作られる商品は、インドで5日か6日の労働量でできる商品と交換されていた。本書の初版は1820年なので、おそらく1700年代後半からそうなっていたのだろう。また、この時代はイギリスに比べてインドが銀は高値だったらしい。これは大英帝国としては、植民地のインドから安い労働と貨物を購入できる状況であったことが分かる。

 この節では労働価値説の限界についても触れており、マルサスは「イングランドおよびインドのモスリン(muslins)がドイツの市場にあらわれるときには、その相対価格は、それがついやしたであろう人間労働のさまざまな量には少しも関係なくもっぱらその相対的品質によって決められることであろう」(小林時三郎、1968年1月16日、マルサス経済学原理上、P164)と述べている。また、近代経済学(新古典派経済学)の限界効用理論にも、また同じような限界がある。ようする現時点では、労働価値説も限界効用理論も、それで一応説明がつく場合があるが、科学的な証明としては不十分な段階というワケだ。
 一方のリカードは、国内外での資本の移動について少し触れている。彼は国内では労働が安く買える地域に資本が集まりやすいといっているが、国際間ではそうではないと主張した。つまり例えば、ポーランドがイングランドより労働が安いという理由だけで、資本がそっちに移動はしないというのだ。現在もそのような状況はあるはずだが、マルサスの時代に比べたらずっと少ないだろう。