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労働価値説と交換価値の一尺度④〜経済学原理第二章第四節〜
141〜142ページにおいて、地代は穀物と家畜とでは、性質がまるで異なることをマルサスは述べている。彼は、穀物は地代がなかったとしても価格は下がらないといい、家畜の方はそれと同じではないと考えていたのだ。しかし、どうしてそうなってしまうのだろうか?ここの記述では、「植物の農産物」ではなく穀物と書いてあるので、家畜は主に食肉用や乳用目的のものを想定しているのであって、農耕用ではないようにも思われるが。マルサスは、「地代は農産物の高い価格の原因にはならない。結果として発生するのが地代である」という見解も持っている。この考え方に基づくなら、全ての農業経営者が借地を一切持たずに自己所有の土地のみで穀物を生産しても、原則的にそれによって価格が下がることはありえない。マルサスによると、家畜の場合は穀物とは異なり価格が下がるらしい。これについては私はかなり悩んだ。穀物に比べて食肉や生乳等は足が早く保存が効かないので価格競争において、安値にしても早く売らざるを得ないからだと考えるのが限界だった。もう一つ気になったのは、本書を引用するが、「すべての家畜は地代を支払うが、その価値との比例において著しくちがった価値の地代を支払うのではない。この点において家畜と穀物と本質的にちがっている」(著者トマス・ロバート・マルサス、翻訳小林時三郎、1968年1月16日、マルサス経済学原理上、P142)というものだ。これは穀物用農地は比較的に優劣の差が大きく、家畜用農地(ほぼ牧草地のことだと思われる)は比較的に優劣の差が小さいことを意味すると解釈できそうだが、本当のところはどうであろうか?本書の144ページでマルサスは、「家畜の価格は、優良な穀物用農地として使うことができる見事な自然牧場、もしくは地力を向上させた農地による生産費によって決まる」という趣旨の意見も述べている。これはつまり家畜の値打ちは、その土地から生産される穀物の質と量が物差しとなる。そうなると、矛盾しているように思ったのは私だけではないはずだ。これについては現時点では、まだきちんとした解釈ができない。
本書でマルサスはおそらく、農業部門による平均利潤率(利潤の均等化)についても触れている。これも引用するが、「すべての国民にもっとも普通におこる事柄の一つは、生産物の価格が同じ、労働の価格も同じ、そして利潤率も同じであって、生産物の増大と人口の増加とにみちびき、そしてしばらくの後には自然により貧弱な土地の耕作にみちびくところの、農業における改善これである」(著者トマス・ロバート・マルサス、翻訳小林時三郎、1968年1月16日、マルサス経済学原理上、P144〜145)という記述がある。なぜこれが平均利潤率の話になるかというと、「生産物と労働、利潤率の価格が同じである」という現象が起きるには、かなりの時間が要するとしか思えないからだ。ただし、限定的や散発的に発生するものといえるかもしれないし、リカードが「その理論は大きな誤りである」と述べたのはそのためだろう。あくまでも私の勝手な解釈にすぎないが。