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なりかわったり、なりきってみたり(創作的な文学的②)
今の自分に忙しい。
他人じゃなくてよかった!
自己肯定感を、得られている。
自己啓発、
自己ハック、
幸福の追求。
その原始には、文学があったのではなかったか。
昔の読書経験があったから、自分は選択を間違わなかったのであって、こうありたいと憧れ、あるいは、こうあってはならないと戒められた。
そんな自分経営をしてこれたのは、賞賛に値するけれど。
想像力を持って、他人になりきってみることは、必要なのではないか。
文学読書は、他人の人生を覗くということ。
いや、他人の人生を、生きるということ。
他人行儀は必要ない。
その言葉に埋もれ、溺れ、入り込み、感情移入し、その世界を生きて、主人公になりかわって、一緒にどきどきはらはらして、その世界の物を手に取り、匂いを嗅ぎ、空気を吸い、その世界の時間を過ごしていい。
自分で小説を書いてみたこともある。
今書いているこの一連のnoteは、小説ではないが、あるいは文学なのかもしれないとは思っている。
主人公は、自分。
登場人物は、様々な作者、本達、身の回りのものたち、社会を構成しているものたち。
完全にオリジナルでなくても、現代は、「少し創作に加担する」、ということができる時代だ。
自分のオリジナル楽曲ではなくても、歌ってみた動画は、自分の声で歌っている。
自分のオリジナルダンスではなくても、踊ってみた動画は、自分の体で踊っている。
二次創作、というジャンルがある。
スターウォーズやエヴァンゲリオンなど、その世界観でアナザーストーリーを遊ぶ、というものもある。
アウトプットにもいろいろあるが、文学的であるために、ちょこっと創作に加わる、ということも重要なことではないか。
『物語の体操』や『キャラクター小説の作り方』を著した、大塚英志という人がいる。
この人の本を久々に読むに、そういう世界とか、キャラとか、そういうことが書かれてあった。