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『宇宙飛行士への手紙』(文学を人生のBGMに⑪)
BUMP OF CHICKENの楽曲の中に、『宇宙飛行士への手紙』という曲がある。
18枚目のシングルで、アルバム『COSMONAUT』に収録された。
今から14年前の楽曲だ。
そして、文学的であろうと思った今、大人になった今になって聴いて、違った響き方をしている曲だ。
匂いもカラーで思い出せる
今が未来だった頃の事
どうやったって無理なんだ
知らない記憶を知る事は
言葉で伝えても、伝わったのは言葉だけ
生きている君に 僕はこうして出会えたんだから
そしていつか星になって また一人になるから
笑い合った今はきっと 後ろから照らしてくれるから
全てはかけがえのないもの
言葉でしか知らなかった事
BUMP OF CHICKENが扱っているテーマの中に、「宇宙の孤独」というようなものがあると思う。
題名の「宇宙飛行士」というのも、我々はみんな、宇宙の中で漂い生きている、実際に宇宙にロケットやスペースシャトルで行った事がなくても、宇宙飛行士のようなもの、ということか。
今が未来だった頃のこと、つまりすべての過去の、幼い、若い自分。
それがなければ今の自分はないはずの、けれども切り捨てていっているような、過去。
文学的に生きるためには、言葉が絶対に不可欠だが、言葉で伝えても、伝わったのは言葉だけ、というのは一体どういうことなんだ。
言葉は、それが指し示している「おおもと」のもの、魂のようなもの、正体のようなものがある。
その「おおもと」のものはそのままでは提示できないから、言葉にあらわして伝えている。
誰も、「おおもと」のものには、届いてくれない。
誰も、「おおもと」のものには、気付いてくれない。
分け与えようとしても、届けることができない。
死んだ俳優の映画を見たり、死んだ作家の文章を読んだり、死んだアーティストの歌を聴いたりしていると、ふと、その人たちが今も生きているんじゃないかと錯覚することがある。
それはそれで素敵なことで、時代を越えて背中を押してくれるものだが、生きている同時代の人たちと出会えるのは、ちょっとした奇跡である。
笑い合った今はきっと、後ろ(過去)から照らしてくれるはず。
文学であらわされたものはすべて「過去」である。
すべて、過ぎ去ったあとのものしか、あらわせられない。
すべてはかけがえのないもの。
しかし、この曲の最後が「言葉でしか知らなかった事」としめくくられているのがわからない。
しばらくぼけっと考えてみたがよくわからないので、ググることにする。
***
第51講BUMP OF CHICKEN「宇宙飛行士への手紙」考察〜多用される対比表現に現れる作者の価値観を掘り下げる〜|仙仁透さんとこの考察が、一番腑に落ちた。
同じ時間を生き、同じ時間を過ごす。
過去の傷をそっと見せる。
やっと、言葉が届く。
我々は、言葉でしか分からないし、言葉でしか伝えられないけれど、ほんとうのあたたかみをもって言葉が伝わる、ということについて、この曲は歌っている。
それって、ほんとうの、文学的ってことだと思う。
ほんとうのあたたかみをもって言葉が伝わる、ということ。
日々の読みの中で、いつしか忘れてしまうこと。
SNSで、うわっ滑りの読みで、忙しさの中での逃避で、売れているからと引っ張られてみたり、見栄を張るために読んでみたり・・・。
そういうことではなくて、ほんとうのあたたかみをもって、言葉を扱いたい。
そういう、文学的でありたい。
関連文献:
BUMP OF CHICKEN「宇宙飛行士への手紙」と流れ星のわたしたち|歌詞コラム:わたしがグダグダうじうじしていることは大抵藤原基央が曲にしている 2曲目 | フラスコ飯店
【BUMP】宇宙飛行士への手紙の歌詞の意味-藤原基央がタイトルに込めた想い-│BUMP OF CHICKENの書庫
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