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成長と退屈(暇と退屈を埋める文学的④)
私の労働には、事務系と接客系がある。
事務については、「社会人の武装の仕方」シリーズで、整理法とか、いろいろ書いてみたけれど、結局システムとしてしっかり回していくことが大事だ。
こなれていくごとに、機械的になっていく。
機械的になっていくと、心は離れていく。
接客についても、こなれてくると、機械的になってくる。
火消しの時は火消しとして、最大限の誠意をもって接しているつもりで、どこかこなれて機械的になってくる。
良い印象をもってもらうためには、それなりのスマイルで。
満面の笑顔も、機械的。
問題解決のために、情報共有する。
一緒に解決を考える、のふりをして、実は別にそこまで思っちゃいない。
いちいち傷つく時期は過ぎた。(青春の終焉)
物覚えも悪くなってきて、人の顔を覚えられない。
クレームに対しても、お酒を飲んだり、一晩眠れば、忘れる。
「構造」として、それがそんなものだ、と、割り切れるようになってきたのだ。
分別がついてきた、のだろうか。
なんだ、私はこの頃、基本的に、夢見た「上機嫌」である。
しかし、何か足りない。
心を置き去りにしているのではないか、という不安はつきまとう。
読書における事務系と接客系。
事務系読書は、知識を得る読書。
接客系読書は、心を揺さぶる読書。
しかし、これらの読書もこなれてくると、機械的になってくる。
機械的になってくると、心は離れていく。
どうせそこで苦境がやってくるんでしょう。
そこで葛藤が落とし込まれるんでしょう。
そこで謎解きがあって、
そこで誰かがそれなりにいいことを言うんでしょう。
「構造」がわかってくる、「メタ認知」が優秀すぎる。
これら、現代で必須のスキルが、退屈を呼び起こす。
社会人になるための武装、心をなくすための武装。
こなれてくると、なんだか退屈なのだ。
・・・あれ、おかしいな?
成長しているはずなのにな。
ああそうだった、私は「歯車」だから、「心をなくす」も、「退屈」も、関係ないのだった。
ギギギギギ・・・
ところで、「事務」に関しては、坂口恭平さんの、『生きのびるための事務』という本を読んでいる。
注:
構造:構造主義、ということについて、もう少し勉強しなければ。システム。
歯車:芥川龍之介発。なんだか巨大な歯車になったような気分。ちなみに、Mr.Childrenの歌詞の中に、「そう誰もひとりじゃないんだ 僕だって小さな歯車 今なら違う誰かの夢を通して 自分の夢も輝かせていけるんだ(『The song of praise』)」というものがある。
心をなくす:これまでに、いくつか書いてきた。(「文学は心を扱う」)
退屈:『暇と退屈の倫理学』より。