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心理描写を廃した文学作品(文学は心を扱う⑩)

前回、記録する、ということについて書いたが、ともかく記録する、ということに徹底した文学作品、心理描写を廃した文学作品もある。
Aさんが○○をした。○○へ行った。○○を買った。
といった、映像的な、事実の描写だけで、いっさいの感情的な表現が書かれていない文学作品。
新聞のようだが、ニュースのようだが、作品として成立するもの。
読者は、それらの行為、行動の観察から、感情、考え、方向性、過去などを想像して、透視しなければならない。
作者の意図が見える?
何が、新聞記事のような文章と、文学作品の文章とを分けるのだろうか?

心理描写を廃した文章は、乾いた文体、などと言われたりする。即物的なというか。
カフカや、チャンドラー、カーヴァー、ベケット、ヘミングウェイなどだろうか。
村上龍さんの、『限りなく透明に近いブルー』なんかも、そうだったような。
また読み返してみたい。

こうの史代さんの漫画『長い道』には、時々、セリフや説明文のない、サイレントな、絵画的描写だけの話が出てくる。
ただ、表情や、記号などで、人物の感情を補って表現しているところもあるから、完璧に心理描写を廃している、というものではないが。

佐々木俊尚さんのVoicyで、芥川龍之介の『|手巾《ハンカチ》』が紹介されていた。
息子が亡くなった夫人は、笑顔をたたえている。
しかし、テーブルの下の手許のハンカチは・・・。

無味乾燥で質素な記録だけでは、言葉が貧しくなり、心が動かなくなり、私が思う「文学的」ではなくなる、と思う。
それでも「文学作品」として成立するものもあるかもしれないが、それは私の望むところではない。

成美堂出版の『小説を書きたい人の本』(2005年版)に、心理描写について書かれた章があった。

このとき大事なことは、悲しい気持ちを表すのに「悲しい」などと表現しないこと。これは心理描写とは言わず、単なる説明にしか過ぎません。感情を表すさまざまな言葉がありますが、それ以外の別の言葉で言い換えなければ意味がないのです。

『小説を書きたい人の本』p118 実際に小説を書いてみよう6心理描写 人物の移動が内面の変化を呼ぶ

※現在は2013年新版が出ています。


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