書き込みしながら読む(本の手触り⑥)
本に線を引きながら読むことがある。
マーキングである。
その本を真に読み込もうとして、購入し、線を引き、書き込みながら読む、というのも愉しい読書だ。
そしてそのような本を再読する時の愉しみは、読書と、日記を読み返す郷愁とを同時にもたらしてくれる。
その読書の手触りは、そういう読書をした手触りは、私の文学的な生活に、いくぶんかプラスになっていると思われる。
『読書と私』(文春文庫)の中で、大江健三郎氏はトンボ鉛筆のヴァミリオン=ブラシアン・ブルーの色鉛筆で線を引くと書いていて、自分でも早速それを買ってきて引いてみたことがある。
確かに色鉛筆の傍線の手触りは素晴らしかったが、この赤青色鉛筆を携帯することが難しかった。
なのでその後、後述する3色ボールペンに移行した。
齋藤孝氏考案の、3色ボールペン。
色は赤、青、緑の3色である。
赤と青の「客観」に、緑の「主観」が入っているところが良かった。
作者が重要だとしているところや、一般的に重要だと思われるところ(赤・青)と、自分の文脈で読んだところ(緑)とが色分けされる。
3色ボールペンで、傍線だけではなく、メモをとるときなどにも色分けして書く。
TODOリストなどにも活用できるので、3色ボールペンは、私の仕事道具のひとつになっている。(ZEBRAのクリップオンマルチ。実は3色ボールペンではなく、黒色も含んだ「4色ボールペン+シャーペン」なのだが。)
常に持ち歩いているので、読書の時にもそのまま使える。
池澤夏樹さんは、B6くらいの太くて軟らかい鉛筆で、行頭にしるしをつけるか、せいぜい単語を丸でかこむくらい。
ボールペンなどで線を引くのは、本に対する敬意を失している、とのこと。
欄外の書き込みのことを「マージナリア」といい、それが価値をもつこともあるらしい。
中野重治氏の蔵書や、丸谷才一氏、南方熊楠氏の蔵書にもマージナリアがあるらしい。
でも、池澤氏は、本は汚さない主義みたい。(池澤夏樹『知の仕事術』p110)
マージナリアについては、マルジナリアと書いて、山本氏のマルジナリアでつかまえてとか、以下のnoteなど。
マルジナリアについては、私の文章より、そちらを読んだ方がよろしいかと。
平野啓一郎氏の『スロー・リーディング』にも、傍線を引くことについて書かれてある。
傍線と印の読書。
10代に向けて書かれた永江朗氏の『本を味方につける本』には、蛍光ペン、しるしをつける、ページの角を折る、書き写す、ファインダー越しに見る、POPを書くなど、本を味方につけるための本との付き合い方がいろいろ。
本を解剖するなど、手触りを越えた、本への接近の仕方が書いてある。
本を売るときのことを考えたり、図書館の本だったりすると、傍線を引くわけにはいかなくなる。
そういうリアル書籍を読む時、この頃はもっぱら、ゼムクリップくらいの大きさの読書用付箋を使っている。
昔は希少価値が高かったが、今では百均でも手に入る。
付箋は、本の見返しや、カバーのそでのところにあらかじめいくつか貼っておいて、それを使用している。
上記した大江健三郎氏は、読書カードを使用していたようだ。
読んだ本について、アウトプットしながら読む。
ごりゅごさんなども、本を読むときはメモをとりながら読まれているとおっしゃっていた。
自分を通過させて、自分の言葉で語り直すというのは、より深い読書のために必要な儀式である。
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電子書籍(Kindle)では、気兼ねなく傍線を引くことができる。
傍線を削除するのも簡単だ。
傍線したところだけを集めて、閲覧する機能もある。
他の人が傍線を引いているところがわかる機能もあったりする。(ポピュラー・ハイライト:○○人がハイライトしました。)
傍線箇所をコピーすることもできる。
これは実装されているか知らないのだが、他の人がメモしたものを共有しながら、一冊の本を「共読」することも可能であろう。
このあたりは、電子書籍ならではの機能だ。
しかし電子書籍では、印や記号を使った傍線は難しい。(色分けはできるが。)
ハイライトにメモを追加することもできるが、矢印を引っ張ったり、欄外にイラストや図などを含む書き込みを残すことは難しい。
1ページ1ページが画像になっているような電子書籍では、傍線を引くことはできない。
読書用付箋のように、ブックマークを用いる。
けれど、リアル書籍と違って、どの行、どの部分に付箋したのかが分かりにくい。
こういう電子書籍への傍線/ブックマークの問題は、スクリーンショット(スクショ)で対応することもできるが、少し手数のいる面倒な作業になる。
電子書籍にイラストや図の書き込み、スクショ対応を求める場合、それらのデータは読書カードのようにメタデータ的な、別物として保管していくのがよさそうである。