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パワハラの行方
兵庫県知事の動向が話題になっている。報道を鵜吞みにしてはいけないが、客観的に考えれば、告発者が亡くなっていること、県議会の総意で辞任を求めたこと等の事実から、辞職する以外に道はないと思う。「辞め時を誤った」「今更やめられない」と、意地になっているように見える。トップに立つ者の「悪い見本」を見せられている。
自分の場合、若い頃から失敗も多く、その都度指導を受け、怒鳴られてもきたが、「パワハラ」とは感じなかった。理不尽と感じることあれば、教頭や校長に対しても「意見をぶつける」ことができ、職員間でも意見を戦わせることにより「生徒のために良い学校にしよう」という雰囲気の中で勤務できたことは幸運だった。(もっとも、小中学生の頃は教員からの体罰や言葉の暴力など、嫌な記憶は沢山ある。これはハラスメントよりたちが悪い。)
40代となり、責任ある仕事を任されるようになると、自分の言動自体が地位や役職を伴った「パワー」を持つようになる。それを受け止める方は「ハラスメント」と感じることもある。思い出すのは、47歳で学年主任を務めた年、新採用教員として赴任したI君のことである。この頃、新しく赴任した職員を誘い、着任したその日に飲み会をやることが恒例だった。早く新しい学校に馴染んでもらい、巻き込んでしまおうというのである。新採用のI君もこの誘いに乗り、5~6人で飲み始めたのだが、最初の乾杯で違和感があった。それは、ビールジョッキを重ね合わせる強さの加減ができないことだった(グラス割れるかと思いました)。このこと自体は小さなことなのだけれど、学校での勤務が始まってみると、「違和感」は膨らむばかり。ほどなくI君は学校を休みがちになってしまった。同じ教科・学年の担当だったので、私の当たりがきつかったことは否めない。「新採用教員の指導」の域におさまらず、「ハラスメント」だったかもしれない。若い頃の自分は、上からの「強い当たり」には「強く返す」「強く主張する」という戦いの中でお互いを理解し、議論はしても結論には気持ちよく従う、という考えがあった。それは私の個性でもあったのだが、他の人(特に年下の教員)に同じことを求めることは間違いである。幸い、I先生は職場に復帰し、私も対応に気を付けるようになった、I先生は福島県で数校の転勤を経たのち、出身地(新潟)の教員として帰っていった。今も元気でいてほしいと思っている。
現役時代を振り返れば、あんな言い方をしなければ、あんな態度をとらなければ、と思い出すこと沢山ある。同僚に対しても、生徒に対しても、である。謝って済むものではないが、できれば一人一人謝りたい。それが叶わぬことならば、せめてこれからの生活態度で表していきたい。しかしこれがなかなか実践できず、またまた反省の日々なのである。