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キョロキョロおじさんとの闘い(日々の切取りエッセイ)

「トラブルつづきのドライブノォト*後編」を書きたいところですが、
昨日、当案件を、なんとか乗り越えたようでたいそうな爽快感!

興奮冷めやらぬうちに備忘録。

そして、淡路で車のドア、こつんも、この件にからんでいると思うので、
先にUPしようと思います。

二カ月前か、
帰り利用している山の手地下鉄がダイヤ変更で、
最寄り駅から出発が二分遅くなりました。

たった二分遅くなるだけで、
今まで一緒にならなかった人、新顔が現れます。
それが、キョロキョロおじさんです。

キョロキョロおじさんとは、
年齢は五十代くらいで、
スポーツ刈りっぽい短めのグレイヘア。
いつも白の布バッグを肩にかけています(仕事場に帆布?)。

車両が一緒で、最初からとても違和感を感じていたのですが、
やたら周囲を観察して、落ち着きなくずっとニタニタキョロキョロしています。

乗り換えのエスカレーターに乗ったときも、
隣を歩いてのぼる人や、すれ違う人を常に見ている。
(昨日判明したのが、すれ違う女性を公平に、すべて目を止めていた!)


違和感を感じつつも、
あまり気にしていませんでした。


でもある日、乗り換え電車のホームでふと横を見ると、
隣の隣の立ち位置にキョロキョロおじさんがニタニタして立っていました。

おっと、いるよ。

あの人、この辺の車両に乗っていたっけ?と思いながら、
この日もそれ以上考えませんでした。

次の日、
キョロキョロおじさんは乗り換え電車のホームで、
わたしの後ろにニタニタしながら立っていました。

「!」


実はわたしは定期的にこういう目に合います。

「つけられる」というか「追いかけられる」というか、
なんとも気持ち悪い目に遭遇するのです。


その翌日、
先頭車両から後方車両に乗り場を変更しました。

これで追いかけてきたら、正真正銘の「問題」をわたしに見せに来た人だな、と考えていると、
二日後、
おじさんはわたしを追いかけてくるかのごとく、
後方車両側の階段を、
ゆっくりと、ニタニタしながら、降りてきているではありませんか!

心の中で悲鳴をあげました。


それからわたしは以前と同じように、
乗る電車の時間を変え、おじさんに遭遇しないようにしていたのですが、
これは乗り越えなければならない問題を避けているに過ぎず、
同じように逃げていれば、
またしばらくして人物を変え、
同じような「気持ち悪い」現象にあうことは目に見えています。

ちょうどこの時期、
NESセラピーのセッションのタイミングで、
先生とこの件についていろいろ話し合い、

「気持ち悪い」についての抽出(わたしの問題)はできて、
おじさんについては「逃げない」という結論に至りました。

だって、
逃げる意味などない、
なぜ逃げなきゃいけない、
わたしは何も悪くないし、
勝気なもう一人のわたし(リトルカイト)は、
きっと逃げてほしくないと思う。


よっしゃ、逃げてたまるか。
堂々とキョロキョロおじさんに挑んでやるぜ!

と、息まいたのが淡路旅行の前日でした。

よっしゃよっしゃ、と奮い立たせ、地下鉄を降りると、
ぱっとそのおじさんの後ろ姿が目に飛び込んできました。

目に飛び込んできた瞬間、
さっきまでの勢いは一気にしぼんで、おじさんを追い越して威勢よく歩くことが困難な気持ちになりました。

いや、無理やわ。



すっかり「負けん気」はしぼみ、
おじさんにおびえ、
まるで見られてはいけない探偵か忍者か刑事のように壁に沿い、
気づかれないよう息をひそめています。
(わたしはちょくちょく忍者になります)

わたしはそのとき、完全に負けたし、逃げたのです。
存在しない恐怖、恐れに。


たぶん、リトルカイトは、

「信じられない」

と呆れたし、ショックだったろうと思います。
逆の立場なら、わたしも失望したことでしょう。

リトルカイトに笑ってごまかしたけれど、
翌日、

「信じられない」


現象は起こり、(車のドアが勢いよく開いてお隣のドアにぶつかる)わたしはリトルカイトのショックを、違う事象で感じずにはいられませんでした。

わたしはおじさんを超えなければならない。

超えなければ、また同じ案件がやってくる。
超えなければ、高額な修理費用(by淡路)がやってくる。

超えてやる。
リトルカイトのために。
修理費用のために。

キョロキョロおじさんがなんぼのもんじゃ!

と、わたしは昨日の帰りの地下鉄、耳たぶを真っ赤にして
闘志を燃やし、
まるで、
殴り合いの喧嘩をしでかしそうな気迫で、
イメトレをしていました。

キョロキョロおじさん待ってろよ!

と、顔は熱いのに手は冷たくて、
ふっと我に返り、

ちゃうちゃう、
喧嘩しろよ、じゃなくて、
自分のペースを奪われるな、だった、と思い直しました。

自分が歩くスピード、
自分が乗る電車、
自分が乗る車両、

それを誰かのためにためらったり逃げたり、
これがリトルカイトは嫌なのだと。

わたしはリラックスして地下鉄を降りました。

今日は少し先にキョロキョロおじさんがいます。
今日もキョロキョロしています。
女性の何を見えているのでしょうか?

わたしは歩く速度をゆるめません。
また同じ車両に来て、わたしの前に来たら、
「気づき」であったサラリーマン以上の、
般若の顔でおじさんを威嚇することでしょう。

リトルカイト、これは許して。
わたしは般若顔なのよ。
油断すると般若顔になるのよ。
特性よ。
逃げないのだから般若は許してほしい。

そんなことを思いながら歩みを進めると、
今日のおじさん、いつもよりペースが速く、シンクロしない。
逃げてないのにシンクロしない。


おじさんはわたしに気づくこともなく、
後方車両の階段を降り、
わたしは前方車両の階段を降りた。

そのとき、

「リトルカイト、やったよ!逃げなかったよ!頑張ったよ!」

と、あふれるような強い語気で話しかけました。

涙は出なかったけれど、
逃げなかったこと、
頑張ったこと、
もともとセラピーで問題はわかっていたから、
おじさん自身はお役御免になっていたこと。

爽快感といった言葉が、一番近いかもしれない。

これは頭(顕在意識)のアダルトカイトも、
潜在意識のリトルカイトも、同時に感じていた尊い想いだったかもしれない。

少しだけ、「自己一致」できたかもしれない。

その夜のビールのなんとおいしかったことよ。

写真はイメージです

adieu キョロキョロおじさん









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