いま思えば(リトル上海の思い出)
阪神大震災、翌年の二月。
とても寒い日だった。
わたしは、
まだ舗装されていない、
神戸三宮、東門街の砂利道を歩いていた。
東門街は、生田神社の東門にあることから
東門街と呼ばれている夜の繁華街だった。
地震で多くが倒壊して、ひしめきあっていた店の多くはなくなり、
営業している店は限られていた。
そんな寒くて寂しい通りに、
ぽつんと小さなプレハブの平屋の店があった。
外壁はミントグリーンで、正面ドアのガラスを、
スパイラルパーマをポニーテールにした女の子が一生懸命磨いている。
わたしは彼女が磨き上げている後姿を、
なぜだか愛おしく感じて、
寒い中しばらく遠くから眺めていた。
記憶では、雪が降りそうにどんよりとした灰色の日曜日だった。
それから、そのお店が気になり、
調べてみたら「リトル上海」というレストランバーだった。
これまた、
スペアリブ、春巻き、唐揚げ、上海焼きそば
「おおおお~」
とうなるほどおいしくて、
ほんと、めちゃくちゃおいしくて、
たまらなくドストライクで、
バイト募集はしていなかったけれど、思い切って電話をして、
「バイト募集してませんか!?」
と、直談判した。
当時わたしは高知から引っ越してきたばかりで、
派遣の仕事をしていた。
小説家になりたいという夢もあって両立していたけれど、
何かまだ物足りなくて、バイトを探していた。
(あの頃、暇が一番の敵だった)
しかもバイトは、バーテンダーまではいかなくても、
ある程度お酒の知識を得たかったから、カクテルを扱うお店がよかった。
プラスアルファ、まずはビジュアル重視なので、スタイリッシュなお店でなくてはいけない。
そんな理想があって、電話をかけたリトル上海。
オーナーであろう男性の方が、きさくにいっぺんお店においで、と
言ってくれて、夕方お店にうかがった。
今思えば、あれが面談だっただろうけど、
カウンター席に座ってレッドアイをごちそうになって、
横目に、あ、あのスパイラルパーマの女の子がいる!
かわいい!と思いながら、
マスターと会話をした。
ちょうどバイトの男性がハワイに帰るので、
欠員が出るとのことでラッキーなことに採用になった。
ご縁があるとはこういうことなのだな、としみじみ思う。
そこからわたしは15年、リトル上海でお世話になった。
三宮に引っ越した際も、
不動産会社を紹介いただいたり、
かかりつけ医の紹介もいただいたり、
中古の家電を譲っていただいたり、
生活面でもオーナー夫妻には本当にお世話になった。
スパイラルパーマの女の子は、
この店の店長的な存在で、
優しくて面倒見がよくて、三宮に知り合いのいないわたしに、
いろんな人を紹介をしてくれた。
ふいに、神戸に出てきて、この人たちに出会えたことは、
「宝物」「奇跡」だよなという気持ちが、何度も湧きあがった。
その気持ちは、いまも変わりない。
あの時代、
今の会社で派遣して、週2~3回リトル上海でバイトして、
太るわ、と言いながら、
おいしいまかないいっぱい食べて、
その後は夜の街に繰り出したり、
いっぱい遊んで、
でもちゃんと創作活動もして。
振り返ればお金はなかったけれど、
生き生きと頑張っていたよなぁと思い出す。
そんなことを思い出したのは、
昨日二年ぶりに奥さんとランチにいったから。
ハワイもみんなで行ったよね、
楽しかったよね、
みんな仲良かったよね。
そして、
若かったよね、
ふふふ。
近況報告とともに少し思い出話。
いま思えば、
あの頃の若い自分に感謝です。
勇気を出して、電話して、打診して、
バイトを長く続けたからこそ、
一番エネルギッシュに頑張れた時代だったと、
それこそ宝物のように、すべての思い出がきらきらと愛おしい。
余談ですが、
初回わたしはついうっかり、二歳年をサバよんだんですよね、、、
二十代だったにも関わらず、ですよ!
まさかここまでお世話になるつもりがなかったので軽い気持ちでした。
飲食は若ければ若いほどいいだろうという安直な解釈。
馬鹿ですねー。
お付き合いが長くなればなるほど、
罪悪感にいたたまれなくなり、
スパイラルパーマの店長と大晦日の夜、
イタリアンにご飯にいったとき、決死の思いでカミングアウトしました。
いまだに、年ごまかしていたことはちょくちょくイジられます笑
嘘はいかん、、、(;_;