母の急死で身をもって知った葬儀屋選びの難かしさと終活の大切さ
今年の6月、何の前触れも無く母が急逝した。
母の一番仲の良い、私も散々お世話になってる
母のひとつ年上の姉夫婦を我が実家でもある両親の自宅へ招き、お昼から酒宴を開いた。
そしてその宴会も終わり風呂好きな母はいつも通りに長めの風呂に…しかしながら宴会の後片付けをしてた父が、風呂場から何も物音がしない事を不審に思い、風呂場を覗くと、そこには浴槽の水面に顔が浸かり、全く動かなくなってる母を発見したそうです。私への
第一報は小さい頃は良く懐き遊んであげていた高校生の甥っ子からでした。おばあちゃんが救急搬送されたと…去年の10月にコロナ禍の中、細やかながら喜寿のお祝いしたばかりで、搬送された病院で母の姿を見るまでは、何かの間違いでは⁉️と正直思ってました。あの母さんがそんな筈ないと…
両親の家は埼玉県草加市で、私の住まいは神奈川県横浜市なので、電車使って約2時間って所なんですが、草加市消防局の隊員の懸命な処置でどうにか一命は取り留めたものの、自身が病院に駆けつけた時には既に脳死状態になっていました。
若い頃は器械体操をやっていたらしく、還暦を過ぎてからも大病も無く一昨年にペースメーカーを入れて相性が悪いのかあまり運動をしなくなる迄は、開脚でペタリと身体が地面に着き、私が実家に置いていった、かつて大ヒットした腹筋マシーンのワンダーコアで腹筋を鍛えてるような人でした。
それに私にとっての母方の祖母は97歳と大往生だっただけに、ICUに入り心臓は自力ながらも自発呼吸は既に無く人工呼吸器や沢山のわけ分からんものが沢山身体に付いてる母を見て、病院に飛び込んで愕然としました。もう排尿もなく厳しいと覚悟してましたが、丸一昼夜みんなに短すぎるお別れの時間をくれて
明け方に旅立ってゆきました。
そして目の前で母が亡くなった現実を受け止めきれないままの状態だったのに、大変なのはここからでした。
母の死亡確認後の簡単な処置が済んだ途端に10社位書いてあったラミネートされた葬儀屋一覧表みたいのを渡され、
「コレが近隣の葬儀屋の一覧表です、
ご購入ありがとうございました(*- -)(*_ _)ペコリ
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