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唐人屋敷の住人とマラソン奮闘記②

前回に引き続き、宿敵であったマラソンについて心の丈を記そうと思う。
前回は短距離走について書いたが、今回は本題である、長距離走・マラソンについて言及していこうと思う。


駅伝メンバーに選ばれるも~屈辱~


長距離走に対して苦手意識を明確に認識したのは、中学生の時である。私はバドミントン部に入部し、練習に励んでいた。バドミントンという競技は想像よりも体力が必要なスポーツであるため、走り込みのメニューが豊富だった。ダッシュ系の練習は得意であったが、長い距離を走る練習が苦手であることに気づく。初年度のほうは、比較的苦手意識はなかったが、2年、3年と学年が上がるごとに苦手意識は強くなっていった。原因は足首にあった。走りはじめて数分しか経っていないにもかかわらず、足首に違和感を覚え出す。筋肉が固まっている感じで、痛みが徐々に激しくなっていく。そして、痺れ始め、歩かざるをえなくなる。ストレッチをしつつ、先生や友人に事情を話すも、結局この痛み、痺れに悩み続ける。痛みを我慢しながら走り、時には立ち止まりで、不完全燃焼感が否めず、結果も勿論出ず、苦しかった。

こんな状態であるにもかかわらず、学校対抗の駅伝メンバーに選ばれる事になる。1、2年生時はメンバーから外れた。勿論当然だ。陸上部がなかったため、運動部生は強制的に練習には参加していたが。しかし、3年時は選出されたのだ。10名程度選ばれ、5人が実際に走る。残りはサポートにあたる。3年で、練習を頑張っているという理由だろうか。(忖度かな)どんな理由であれ、選ばれたからには、走る方の5人でいたいと思い、練習に臨んだ。が、以前、状態は変わらなかった。結局、外から応援し、給水やタオル等のサポートをするだけだった。一緒に練習してきて、かつ、颯爽と走る姿に憧れを抱いていた仲間(友達)の姿を見て、頑張ってと心から思っていたし、声がかれるまで声援を送った。でも、心のどこかでは悔しさ、屈辱でいっぱいだった。学校の応援の会で前に立ち、会場へ向かったのに、走る事ができない自分が情けなくてしょうがなかった。風の噂で、後輩から「なんであいつが選ばれてるのか」など後ろ指をさされていたらしい。

「俺だって選ばれたくて選ばれたわけじゃない。自分がふさわしくないことは十分承知していた。でも、選ばれたからには期待に応えようと必死に頑張った。」

もうこんな悔しい事を二度と経験したくない。そう心に強く思った。


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