今更ながら、私のこと #2
「なんでもYESといえるほど 軽く器用に生きられない 惨めすぎて後ろ指指されても」
NICO Touches the Walls(ニコタッチズザウォールズ) 「まっすぐなうた」の歌詞より
皆さん、こんにちは。
今回は私がnoteを執筆しているうえでの信念についてお話ししようと思います。
まず初めに私がnoteを発信し始めた理由。それは、どんな状態からでも自分の行動次第で、人生はいくらでも好転させていけるということを、私の実例を踏まえながら、皆様にお示ししていきたいと思ったからです。
私の人生が明確に変わったのは、ほんの4年ほど前のこと、ダイエットを成し遂げ、自分でも変われるのだということを実感した時でした。
最初は嫌々でしたが、勉強したことを日々実践していくうちにどんどん細くなっていき、次第に楽しみすら感じるようになりました。とはいえ、88キロあった体重が1年半ほどで52キロ。我ながら、どう考えても一気に落としすぎです。自分は運よく健康を損なわなかっただけだ。そう強く考えるようになりました。
そこで私は、自分が痩せていく上でこんな知識があったら、もっと健康的にやせられただろうなと思えるような情報を発信していこう。そう決めました。
ですが、私の行動などは所詮、偽善です。ただの自己満足です。いくら美辞麗句で飾り立てたところで、自分を大きく見せたい。すごいと思われたい。自分の内面にそういった欲求が隠れていない。と言えば噓になります。
ですが、いい人だと思われたいから人助けをする。自分の承認欲求を満たすため。この人を助けたら自分のことを好きになってくれるかもしれない。そういった考えの何がいけないというのでしょうか?誤解を恐れずに言いますが、今までにそういった打算にまみれた人々が全ていなくなってしまっていたのなら、とっくの昔に人類社会は滅んでいたと思います。つまり、そういった人たちが一定数いるおかげでなんとか社会は維持できている。と、ですから私は、そういった、実際に行動に移せる方々のことを心の底から尊敬します。
ですから、偽善で大いに結構。やらない善よりやる偽善です。もし、あなたのことを偽善者などと言ってくる人がいるのなら、おそらく自分では行動が起こせず、あなたが行動できる人であるということで妬んでいるだけです。そもそもなのですが、救われる側にとっては純粋な善意だろうが、そうでなかろうが、正直あまり関係のない話ではないでしょうか?助けてもらえるだけで嬉しい。人情とはそういうものではないですか?
ですから私は、自分が偽善者であることにむしろ誇りをもって堂々と生きていきます。
今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。