【がん経験談インタビューNo.5】AYA世代 悪性リンパ腫経験者 安岡さん | 20代の治療
こんにちは!まいです。
今回は27歳で悪性リンパ腫を患った安岡さんのインタビューになります!
現在は車いすバスケをしているアクティブな方です!
お話ししながら、前向きに治療するマインドが
過去の自分にも似ていてとても共感出来ました!
ではさっそく紹介していきます!
1.最初のきっかけと手術
病気が見つかったきっかけとしては、
背中の痛みがあり、足の先が痺れる症状が出たことでした。
4月上旬、ソフトバレーをしていて
半月経った頃から胸から下まで痺れが起こり
CTで検査しましたが原因は不明でした。
後日、専門医がいるときに受診する予定でしたが、
受診する頃には歩けない状態になってしまいました。
そして、胸椎4番目に腫瘍があり、
大学病院に行った方がいいと言われ
病院に行ったところ、
麻痺が酷くなるだろうということで
3日後に手術が決まりました。
その半年後に脊髄の周りに
腫瘍がついていたことが分かりました。
2.2回目の手術
そして、肺にも影があったため、結核の疑いが出てきました。
その為、検査をしたところ、
頭部にも腫瘍が転移し、
5月に病院を移動し、7月に開頭手術を行いました。
手術をして病名が分かるまでの間はステロイドを飲む日々でした。
そして、10月末に病名が明らかになりました。
悪性リンパ腫の疑いがあるという診断になり、
症例があまりないため、診断が付きづらかったそうです。
そこから悪性リンパ腫の治療が始まりました。
3.抗がん剤治療開始
最初に抗がん剤を何種類か投与しました。
そのうちの3種類目の抗がん剤では
になりました。
そして、余命は1,2か月だと言われていました。
家、地元の病院どちらにいるか選択をお願いされ、
2、3日悩んで最後まで大学病院で見てもらうことにしました。
治療の選択があれば
やれることはやりたい
できなかったら仕方がないという想いで
病院で過ごすことに決めました。
4.野球観戦のお誘い
先生たちもよくしてくれて、
1か月後に先生たちから野球観戦の招待を貰い、
野球観戦に行きました。
安岡さんは、とてもうれしくて、勇気をもらい
ずっと続いていた熱も下がり、体調も良くなりました。
そして、野球観戦後、検査をしたら腫瘍が消えていました。
腫瘍が消えたため、骨髄移植を行う流れになりました。
骨髄ドナーを探すため、妹2人の骨髄を調べてもらうものの型が合わず、
自分に合うドナーが見つかりませんでした。
5.臍帯血移植の提案
そんな中、
臍帯血移植という赤ちゃんのへその緒を使った移植を提案されました。
臍帯血移植には10%しか希望がありませんでしたが
チャンスがうれしくて、すぐにお願いしました。
親としては家に戻ってほしかったそうですが
安岡さんとしては、移植したいからやることにしました。
そして、家族で旅行や温泉に行って
6月末に
放射線治療を1週間し、無菌室に行き、
7月10日に移植を行い、運よく1回で生着してくれました。
6.現在と後遺症
それから10年が経ち、
今は、実家の牛舎で自分にできることで働いているそうです。
入院期間は、合計で1年8か月でした。
また、後遺症としては、
最初の頃、胸から下の感覚がない状態でした。
そこからリハビリをして、動くようになりました。
動くことが楽しくて、リハビリで回復するのが入院中のやりがいでした。
余命宣告があった際も、
チャンスの為に1年8か月ずっとリハビリしていました。
リハビリ前は
皮膚の感覚もなく、動かせませんでしたが
3,4か月後に少しずつ動かせるようになり、
そこから立つ練習をしていました。
また、退院してからも体力が落ちないように
運動するようにしていました。
ちなみに現在では、
鍛えて体力を戻すために30代から車いすバスケをしています。
7.治療中に意識していたこと
治療中は
強気で病気に負けないように過ごしていたそうです。
ネガティブになったら負けと思って
精神面では負けずにいようとしていました。
また
体はなるようにしかならないけど
気力は負けずにいようと意識していました。
そして
周りの人が助けてくれて、
治療にたどり着くことができました。
インタビューしながら
私も治療中、
ネガティブは考えずとにかくポジティブに過ごそう!
って意識して過ごしていた日々を思い出しました。
自分のできることをやり切りたいって思ってできることは
ポジティブでいることだなって思って意識していたなと思います。
安岡さんは、
今も運動として車いすバスケまでされていて尊敬しました。
運動さぼりがちで体力ないので運動しないとって刺激を貰えました!
メンタル面のお話までしていただきありがとうございました!
このお話が何かお力になれたら嬉しいです🌸