校正者にはなれない
退職後、長いことよく働いた、えらいぞ、ということで、まずは一人旅をした。
旅費はさほどかからず、時間だけは贅沢にある。
観光もせず居心地のいいホテルの部屋で、
まず、校正者 牟田都子さんの「文にあたる」を読んだ。
校正者と呼ばれる人に憧れがある。
私には考えられない速さで、私が間違いだと知りもしない間違いを拾っていく。
「これが正しいと思います」と教えてくれる。
そんな外部校正者さんにいつもお願いできたらいいのに。
スケジュールがつまって、やっと潜り込めたのに、数時間後にはもう起きあがって仕事に戻らなくてはならないベッドの中で、そんなふうに考えたことがある。
優秀な校正者さんには、なぜか良い魔法使い、
いや聖職者のようなイメージを持っている。
前職時代、あまり外部に校正・校閲をお願いする機会がなかった。
ひとりの目で誤植を避けるのは難しい。
幸い、最低でも一度は他の社員に校正してもらうシステムになっていた。
この本にあるように、「校正者は読んでも読んではいけない」
すごくわかる。
脳が読みたいように勝手に変換して読んでしまっているから、何度読んでも気がつけない間違いが残るのだ。
別の誰かに見てもらうと、校正刷りが絶望的に赤くなった。
はじめはショックだったが、「違う目が入れば、その都度赤字は入るものよ」と教えてくれたひとがいた。
そういえば校正したときにどこに気がつくか、人によって得手不得手があった。
私は漢字の誤変換を拾うのが特に苦手だった。
同じ部署にはそれがとても得意なひとがいて、今でも本当に感謝している。
進行の流れを思い返してみても校正が仕事の中心だった。
企画はほぼ持ち込みで、いきなり原稿から進行がはじまることも多かったからだ。
・Wordファイルの原稿に履歴を残して整理
(用語統一、てにをは、点丸、漢字のひらく/とじる、等)
その際、疑問があれば著者あてにコメントを残す
・いったん著者に戻して確認してもらう(ゼロ校などと呼んでいた)
・組版(場合によって自分で組む)
*できあがった校正刷りと原稿をつきあわせて校正する
*素読み校正する
*著者校正
*修正
赤字の入り具合によって*を何度か繰り返したのち責了
毎日のようにしていた仕事にもかかわらず、私は専門家の原稿にどこまで質問していいのかさえ、毎度毎度迷っていた。
恥ずかしい話、今でも正解はわからないし、方針が定まらない。
校正を天職とする、校正という仕事に「呼ばれる」。
好きで続けられるかももちろんだけど、
外部校正者として人に求められるか、つまりは適性があるかの判断材料は、
私が悩んだような知識があるか間違いが拾えるかなんてところには、たぶんない。
制限時間内にしかも安定して、筋の通った判断ができる思考回路、
なんじゃないだろうか。
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