うさぎに泣き、受け継がれた画家の魂に泣く。
気になった展覧会に月1行くぞを目標にした2024年、そんな今年の締めくくりとして12月に訪れた展覧会はこちら。
自己紹介の記事にも書いた通り、私は「1人でも多くの人に日本美術や文化に触れるきっかけづくりの第1歩!」としてnoteの投稿を始めました。
今年色んな展覧会にいき、美術の勉強をして改めて『日本画って、日本美術ってなんだろう』と定義が気になりました。
日本人が描いたら、なのか。それとも日本の心があれば、なのか。
そこで『日本画の名作』のタイトルに惹かれて今回の展覧会にいこうと決めました。
あぁ、兎よ・・・。
今回の展覧会は京都市立芸術大学の移転記念として企画された特別展示です。
現在の形になるまで教師として、そして生徒として過ごしていた47名の近代京都画家の作品とともに京都市立芸術大学の歴史を5つの章で振り返る展示構成でした。
その中で特に印象に残ったテーマ・・・ではありませんが、描かれた対象は『うさぎ』です。
『帝釈試獣図』-幸野楳嶺
老人のために、猿は木の実を、狐は魚を獲っていてるんですよ。
何も用意することができなかったうさぎは竹を持ってきて猿と狐に自分の身を燃やして老人に食べてもらおうとする・・・健気すぎるだろぉ。と涙ちらり。
『園裡即興』-西村五雲
西村五雲の描く『海驢』(アシカ)とってもかわいくないですか?
動物園のアシカを写生した絵で眠そうなお顔と、ぼてっとしたシルエットがso cute.
自宅の庭に多くの動物を飼って早朝に写生をするのが日課だった西村五雲は動物園にアシカの借り入れをおねがいしたけど断られたそうです。アシカって家で飼える・・・のか?
彼の作品の中で衝撃的で『どういう感情?』と思わずにはいられなかったのは、うさぎが描かれている『園裡即興』です。
毛並みがふわふわしてて、いつの時代もうさぎはかわいいなぁ、とニコニコしながら作品の説明文を読んだところ『京都市動物園で猛獣の餌として運ばれていた、うさぎを描いた』って、え・・・?
『獅子』榊原紫峰
画像を載せることができないのが悔しい!
目の前の餌に食らいつこうとする緊張感溢れる雄ライオンと、食べ終わった後なのか落ち着いた雰囲気の雌ライオン。まさに動と静。
2体のライオンの王者たる風格や特に雄のワイルドさが画面いっぱいに伝わってきて圧倒されました。
榊原紫峰がこの絵を描くきっかけも紹介されていたのですが『動物園を訪れたときに生きたうさぎを与えられてその姿に感動』今回2回目のえ・・・?
よく見ると雄ライオンの目の前の横たわってる、餌が、そう、うさぎ・・・。
うさぎーー!!!!!!!!!
写実からの進化
先ほど紹介した3つの作品、そして展示されていた多くの作品からは描く対象を写実的に描写した上で、画家が注目したいポイントや感情が表現されていると感じました。
なにをモデルとして描いてるのかが理解できるので、画家がモデルのどこを魅力的に思ったのか、描きたかったのかがダイレクトに伝わってきたように思います。
そんな写実的な表現からガラリと印象が変わったのが展覧会最後の章の『戦中から戦後へ 日本画の可能性』の作品達です。
日中戦争や太平洋戦争を経験した画家達の絵からは『生きたい、描き続けたい』の強い思いが伝わってきて、心が震えました。
この章で展示されていた作品について、モチーフやテーマ、モデルが何なのか一目見ただけでは私には分からないものが多かったです。
この作品達が日本画に定義できるものなのか、そして現代において日本画として共通認識とされるものはあるのか、自分の中の問いの答えを出すことはできていません。
ですが、それまでの写実的な画風から離れ、それぞれの個性を表現しようとした画家の信念、命が作品として今残っています。
そして戦争という激動の時代を潜り抜け、新しい表現を探し生み出してきた芸術家がこの日本にいたこと、その人々の作品を今の私たちが鑑賞できること、時代を越えて画家たちと触れ合った気持ちになり、目頭が熱くなりました。
コラボメニューも楽しみたいじゃん。
最後の章を観賞して『日本画奥深い。はぁきてよかった~絶対すぐ記事にするぞー!』と意気込んでいたら、おもしろそうなコラボを発見。
京都市立芸術大学生の方が、今回の展覧会の作品から着想を得て和菓子を作るというテーマ演習をされたそうです。
昔と今の芸術をつなぐ素敵な演習だなと、またここでもぐっと胸が熱くなりました。
そのお菓子が美術館併設のカフェで食べれると知りいきましたが、完売でした。朝もうちょい早よ起きてたら・・・くっ。
今時点でギリギリのギリ、ですがカフェのコラボメニューも展覧会と同じく明日の12月22日まで!興味ある方はぜひ。