世界の秘密:海底カニ文明
どこか、ここではない世界の話。
神話
その昔、神話の時代。海辺で叡智の神が1匹のカニを見つけた。
叡智の神はふと思う。「こないだ虫を踏んづけたけど、より硬そうなこの生き物も踏んだら潰れるだろうか。」叡智の神は若干倫理観が欠如していた。
踏んづけてみた。
カニは潰れて死んだ。
するとどうだ、さっきまで青かった海は真っ黒に影が差し、巨大な水柱が立ったかと思うと「何か」が浮かび上がった。
それはこの海に住む怪物だった。岩礁の如き巨大な甲羅は無数の珊瑚や海藻に覆われ、まるで海底がそのまま立ち上がったかのようだ。
叡智の神は怪物を見上げた。
いや違う。見上げた先にあったのはシロナガスクジラよりも巨大な怪物のハサミだ。叡智の神は今しがた踏み潰したカニと同じように潰れて死んだ。小さなカニはこの怪物の子供だったのだ。
怪物は神だったものを拾い上げ、食べた。
それは神の権能を受け渡す行為だった。海の怪物は今や叡智の女神としての力を得ている。天界の神々はそれを受け入れた。先代の叡智の神は気まぐれで人間に知恵を授け、そのせいで人間が戦争を起こしたりそれ以外にもしょうもないポカをやらかしていたからだ。
現代のカニたちはもはや海の怪物の真の名を知らぬ。神話の時代が終わりを迎えるとき、発生した大災害が地上全てを洗い流さんとした。海は荒れ狂い大地に襲い掛かろうと押し寄せるが、そこに立ちはだかったのは海の怪物。
だがいかに海の怪物がとてつもなく巨大とはいえ、神々の時代をも滅ぼした大津波をたった1匹で全て止められるはずもない。それでも彼女の奮闘はいくつかの島を破滅から救い、自身もまた海と相打ちとなり海底に沈んだ。
その巨体は文字通り海底と一体化し、今でも近海の島々とその向こうの大陸を守る岩礁として形を残している。カニ達は他の種族が忘れ去った勇敢なる祖先を、〈偉大なる岩礁〉と呼んだ。
偉大なる岩礁には4匹の子供がいる。最初の子は先代叡智の神に踏み潰され子ガニのうちに死んでしまったが、叡智の神の力を受け継いだ〈偉大なる岩礁〉は残された3匹の子供たちにほんの少しだけ力を分け与えた。〈偉大なる岩礁〉は先代叡智の神と比べるとだいぶ常識があった。
始まり
女神の座に就いた海の怪物は、残り3匹の子供たちに少しだけ力を授けた。そのうちの1匹、始まりのカニ「アダム」となんの変哲もない普通のカニ達との間に生まれた種族が築き上げたのが海底カニ文明である。海水棲以外の種もいるのは内緒。
彼らは世界中に棲んでいるが、海底カニ文明と呼ばれる大規模な群れは1か所にしかない。その地は、神話の時代に〈偉大なる岩礁〉が海から守り抜いた小さな島の集まりだ。島の中にはほかの種族もいくつか住んでいる。
カニ達ははじめ、普通にカニと同じ生息域、海底とか川とかにそれぞれバラバラに住んでいた。だがあるとき、1匹のカニが襲われ、食べられてしまう。だがまぁ食物連鎖は自然の摂理だし、誰かがいなくなってしまったのは悲しいけどもそれが世の常だ。
そのはずだった。
カニを襲った獣は、その味を覚えた上に仲間にそれを伝え、あろうことか水産資源として目を付けた。獣の名はニンゲン。猛毒のフグでも食べようとする、悪名高い悪食の怪物。
ニンゲンは狡猾な罠と悪知恵でもって、カニを捕まえ始めた。その身をスシだのテンプラだのに加工し、商売にするためだ。はじめニンゲンたちは彼らのことをただのでかくて足が少ないカニだと考えていて、まさか自分たちに勝るとも劣らない知性を秘めた生物だとは思いもしなかった。
ニンゲンの漁船やかご罠に捕まっていくカニ達。だが腐っても叡智の神の子孫、硬い甲羅と強靭なハサミ、見た目のわりに素早い彼らはニンゲンにとってそう簡単に倒せる相手ではない。カニ達は種類を超えて集まり、団結した。ニンゲンには辿り着けない場所まで逃げ出し、あるいは反撃に転じて漁船を沈め、またあるものは魔法すら覚えた。
ニンゲンはカニ達のことを「ただのでかいスシネタではない、凶暴な生物」と認識し始めていた。
カニもまたニンゲンを魔物に分類し徹底的に排除すべきと考え始めていた。
やらねばやられる。今日か、明日か。今にも戦争が起ころうとしていたその時、
ひとり海を眺めていたある国のニンゲンの王の前に、1匹のカニが姿を見せた。
そしてそいつは、ニンゲンの言葉を発したのである。彼女はずっとニンゲンの住居のそばで隠れ潜み、言葉を覚えていたのだ。ニンゲンにカニ語はわからぬ。というか、まさかしゃべるなんて思ってもいなかっただろう。ならばこちらから意思疎通をとるべきと考えての行動だった。
王は驚いた。王自身、カニ鍋は好物だったし、自国は水産資源が売りで、漁師や加工業者に援助でも出そうかと考えていたからだ。
慌てて家臣や役人たちを集め、学者も招集された。
いままで何の気なしに捕まえ食ってきたカニが知能と文化を持つような存在だったのだ。今では世界中にあるニンゲンの国家すべてが、そうした文明を持つ生物を(ある程度)対等の存在として扱い、外交とかもしてきた。
それらすべてがニンゲンに友好的なわけでは無論ない。なんかの口実で戦争を起こす機会をうかがっている連中もいる。たとえば「カニ達を食うようなニンゲンはいずれ俺達も食料扱いしてくるに違いない!そうなる前にやっつけてやる!」とか言い出す輩も若干思い当たった。
王はカニの代表と話をつけ、条約を締結した。人間が食べていいカニは2足歩行しないやつに限られた。各地のスシ屋はほっと胸をなでおろしたという。
もちろん、この条約はこの国家との間だけで有効なものであり、どっかよそに行けばまた食べられる危険と隣り合わせだ。
種族
アダムが普通のカニとの間に産んだ子供たちなので、我々のよく知る普通のカニが立ち上がったような姿をしている。習性とか食性もだいたい同じだ。
平均寿命は100年ほどで、生まれてから1年くらいはプランクトンのような半透明の稚ガニとして生きる。その時期を魚とかに食べられないで生き延びれば、脱皮して一応は大人の仲間入りである。でも掌サイズ(人間基準)だ
普通のカニはアカテガニなど一部の種を除いて、水中に暮らしている。だが彼らは陸で長時間活動することができる。鰓に溜め込んだ水を介して空気中から水分を集め、そのまま普通に鰓呼吸できるのだ。その呼吸法のせいで、ときどき結構な量の水を吐く。ずっと同じ水を体内に溜め込んでいると酸欠で苦しい。
そうして陸に進出した彼らは、似たような陸の生物たちと盛んに交易し互いに発展してきた。
彼らは基本的に雑食で、割と何でも食べる。体が大きくなって全体に対する肝臓の割合が上がったため、多少の有害成分(濃すぎる味付けや酒など)も平気だ。ただしマンドレイクなど一部の薬草はダメだった。
死んでる他の生物も食べる。人間でも。
こうした文明の発展に伴う食文化の発展は、彼らを普通のカニとして食べることの危険性を増加させた。彼らは食べたものから得る毒性を筋肉などに溜め込み毒を持つことがある。
体は種類に関係なく硬い殻に覆われている。よく鍛えられたニンゲンでも、その甲羅を素手で砕くことは難しいだろう。その硬い殻の内側は筋肉が詰まっていて、比較的小さなハサミをもつ雌でも簡単に鉛筆を折る力を発揮する。
歩脚のうち6本、一部の顎脚などが退化していて完全に2足歩行で立ち上がって行動する。2足歩行の生物が抱える「転倒しやすい」という問題を、彼らは「体が硬いからちょっとくらい転んでもノーダメージ」という方法で解決した。
曲がりなりにも叡智の女神の子孫で、非常に優れた学習能力や思考力を持っている。初めて見る道具をすぐに使いこなしたり、一度かかった罠には二度やられない。ニンゲンとの条約が締結された後、かなりの数のカニ達が短期間で人語(現地の)を覚えた。
余談:カニ以外のエビやサソリやウミウシが同じように2足歩行しているのはなぜ?
恐らく、叡智の神が海でモノリスをなくしたせいだ。モノリスは叡智の神の持つ神器で、ノート大からドアサイズまで自在に大きさを変えられる。触れた生物はそこに蓄積された膨大な知を一瞬にして得る。
あるとき叡智の神はこれを海に落っことしてしまう。探したが見つからず、数年がたつ。ふと思い立って海の神に聞いたところ、
「そんな脆い石板、今頃波に削られて粉々になってんだろ(要約)」
との回答が得られた。
それからというもの、ごくごく稀に海洋生物がカニと同じように知的生物に進化する事例が発生している。モノリスが砕けて砂になり海底に堆積してしまった影響か、海底に棲む生物がそうした進化を遂げる傾向が高い。
彼らは偶然誕生した生物で、同じ種が2匹以上いることは極めて稀。そのため似たような存在であるカニ達のもとに集まってきて一緒に暮らすものが多い。エビだろうがウミウシだろうが、自分と同じ仲間でもろくに意思疎通ができなくなり、しかも同じように進化した同族はほぼ見つからないのでさみしいのかもしれない。
文化
海底カニ文明は国家ではない。でかい村というか自治体というか、そんな感じである。王も大統領もいないし、ざっくりしたルールが法の代わりだし、明確な領土の線引きもない。そもそも領土とかそういう概念が希薄で、うろうろしていて気付いたら知らない国に不法入国していたなんてこともざらである。
叡智の女神の子孫たる所以か知識欲が強く、
みんなが好き勝手な仕事をして生計を立てている。カニ達には学校とかはない。知識や技術は家族間で受け継がれたり、師匠とか親方から後輩に伝承されていく。
異文化交流が進んだ結果、彼らの習得可能な資格や職業の選択肢は大きく広がった。海底カニ文明ではまず必要ないであろう理容師だの歯科医だのといった職に就く者もいる。
カニ達は人間の半分程度の大きさなので、もう岩の間にはさまって隠れたりすることは難しい。そのため岩や木や土を組み合わせて家を作る。一見すると自然の一部のような外見で、誰かの家だとはわからない擬態度だ。
一方で近年の交易拡大によって、似た背格好のドワーフやゴブリンとのかかわりを持った。彼らの様式で建てられた家を持つ者もいる。竪穴式住居とか、地下室付きとか、レンガ造りの2階がある家を建てる奴もいる。一方で、表で野宿スタイルを貫く者もいる。とくに住居に関する法律とかがないので、自由だ。
カニ達の手は当然ハサミだが、その手で驚くほど器用に道具を扱う。ごく一部の種を除いて高熱に弱いため、金属を加工する技術は一般的ではない。基本的に動物の骨や殻、枝とかを使う。具体的にはウニの棘、サンゴ、魚やクジラなどの骨をよく見かける。多少の刃物なら自前のハサミでなんとか代用するし、ナイフやフォークも使わない。
カニ達の間では物々交換が基本だったが、他種族との交易によって貨幣を使うことになった。みんなでいろいろ考えた結果、タカラガイが貨幣の代わりとして流通することになった。海からいくらでも取れてしまうので問題がありそうだが、ちょっとでも欠けや傷のあるものは貨幣価値が認められないので物価は安定する。タカラガイの中身は食べる。おいしい。
彼らにとって名前とはそいつ自身のことを表すものであり、名前を変えることは特別なことではない。たとえば生まれた時に両親からもらった名前が「メアリー」でも、後天的に稲妻を操る力を得ると「サンダース」とかに(ほぼ自動的に)改名される。
カニは誰かが死ぬと、簡単な葬式をしたあとその亡骸を食べることがある。こうすることで大切な誰かは自分の一部となり、ずっと一緒でいられると考えているのだ。これには合理的な面もある。残さず捕食された命は亡霊にならないからだ。
カニ達にとっても神はありがたい存在である。祖先たる女神を始め、カニと関係ない神格でも信仰されることは多い。
とはいっても、ニンゲンやその他種族のように大々的な教会や神殿を作ることはあまりない。
〈偉大なる岩礁〉
カニ達が単に「神」といえば大抵この神格を指す。沖合の岩礁はこの神の体そのものだと信じられている。だが特に聖域とか気にするものはなく、そこで普通に魚や貝をとって暮らす。岩礁に生き物が集まるのもまた自然であり、神の恵みでもあるのだ。
壁画や書物などによく描かれるのは「紫または暗い青色の体を持つ、ノコギリガザミかタスマニアキングクラブに似た巨大なカニで、背中一面がサンゴや海藻で覆われている」という姿。
神話の時代の終わりをもたらした大津波を受け止め島を守った逸話にちなみ、家の土台とかにその姿が彫られたりする。
最初の子
叡智の神に踏み潰された、〈偉大なる岩礁〉の最初の子。特に名前も逸話も伝わっていないが、歴史書とかには必ずこのくだりが載っているので割と誰でも知ってる。
グランタ
2番目の子。4匹の子の中ではもっとも〈偉大なる岩礁〉に似ているとされ、緑色の体をしたノコギリガザミのような姿で描かれる。
厳密には神ではない「神話生物」と呼ばれる存在で、そうした存在に共通する性質として高い知能と途方もない長寿性、体の大きさを自在に変える能力を持つ。
荒くれ物の巨人の指をちょん切ったとか、その甲羅は戦の神が鍛えた剣を弾いたといった逸話に事欠かず、ドラゴンや鬼と並んでよくタトゥーや紋章に描かれる。
オデッセイ
3番目の子。翼の生えた、あるいはハサミ以外の全部の脚がヒレ状になったズワイガニのような姿で描かれる。
彼女もまた神話生物のひとつで、その翼は水中も空も関係なく彼女の望んだ場所へ旅する力を持っていた。数年間着陸せずに飛び続けたとか、空の神々と地上を繋ぐ伝令の役を担ったと伝わっている。郵便屋や船の旗などに願掛けめいて描かれることもある。
アダム
4番目の子。現代に生きる海底カニ文明のカニ達と大差ない2足歩行姿で、甲羅のフチに4本の角を持つ水色のカニとして伝わる。これが今や途絶えて久しい種の特徴なのか、ゼブラガニなどを指すのかは今でも議論の的。
「最初のひとり」として繁栄のシンボルのように扱われることが多い。像やお守りが作られたり、芸術のモチーフになったりもしている。
また4匹の子らの中で最も賢い存在だったといわれ、「脚2本でもいける」と最初に気づいた者、カニにとっては先見や発明の象徴でもある。
〈偉大なる岩礁〉と最初の子以外の3匹は、神話の中にも滅んだとか息絶えたという記述はなく、今もどこかで生きていると主張する者もいる。その意見はカニたちの中でさえ少数派だが、海底カニ文明の領土から遠く離れた地でそれと思しき目撃情報は今でもたまにある。
おわりに
カニの写っていない画像は人工頭のうのDream=サンに描いてもらった。感謝…