アイドル引退
春まだ早い北国の三月、三十年間続けてきた塾講師を、父は引退した。何かを三十年間続けること、それ自体は特段珍しいことではないかもしれない。しかし、父の場合は、六十歳から満九十歳を迎えるまでの三十年間だから、我が父ながら頭が下がる。
塾の最終日が決まった時、必ず成功させたい、その日、その時を少しでも良いものにしたい、私はそう考えた。
とにかく、先ずは体調面。ほぼ全て、これが鍵を握ると言っても過言ではない。しかし出来ることは、いつも通りを心がけるより他にない。
母は癖っ毛の父の頭を見て、散髪した方が良いとか、今回ばかりはネクタイでもしていったらと、父を少しでもスタイリッシュにしようと試みるが、当の本人は意に介さず、最近トレードマークになった、黒いタートルネックだったけれど。
いよいよ、当日。私は教室まで同行した。生徒の皆さんが、父と私を一気に囲み、様々な話が同時に飛び交った。この塾は、いわば作家の養成塾。既に何冊も出版している生徒さんもいる。このブンブンと飛び交うように話す人たちに囲まれて、さすが『書きたい人』たちの集まりだな、と感心するやら驚くやら。
一頻り話し、全員が集まったところで、宴会の席へ移動した。
この塾とは異なるが、私は去年一度だけ父の開催する講座に参加したことがあった。その日、病み上がりの父の“荷物持ち”として伴った私は、教室の一番後ろで待機する格好になった。
私のすぐ前に着席された女性は、父の話を聞くたびにうなづいた。そして、父が「前にお話しした、◯◯ですがね‥、」と言うと、カバンの中から、以前講座で配布した資料だろうか、プリントを見つけ出し、またうなづきながら熱心に耳を傾けていたのだ。
その姿に、父はこうした生徒さんたちに支えられ、ここまで辿り着いた、そういう側面もあるのだなと、背後からではあったが、感謝の気持ちが湧いて来たのを覚えている。
さて、宴会が終わる頃迎えに行くと、父は上機嫌。大きな花束を二つも抱え、たくさんの生徒さんに囲まれ幸せそうだ。
元新聞記者の父は、現在はノンフィクション作家である。
「実際に自分の足で行って、自分の目で見なければ」が口癖の、根っからのジャーナリスト。“取材と執筆はワンセット”を、九十歳になった今も貫く。
父は晴れ晴れと、塾を終えた。母がお疲れさまでした、と迎えた。二人三脚の部分も大いにあったであろう母も、ホッと肩の荷をおろしたに違いない。
その母がふと父に言った。
「惜しまれての引き際、良かったね、お父さん。」と。
私の脳裏に浮かんだのは、人気絶頂で引退した山口百恵ちゃん。
あぁ、父もある意味アイドルだったのかもしれない。ファンの皆さんに惜しまれて。
父と百恵ちゃんを並べて比較するのは、百恵ちゃんには大変失礼かとは存じますが、今回だけは、ご勘弁ください、九十歳に免じて。
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