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フランスとは、あまり相性の良くなかった私だけれど…

 パリ五輪が終わった。感動のメダル、敗者の涙、疑惑の判定。ただ見ていただけのスポーツ観戦大好きオバさんも、いちいちドキドキして、悲喜交々の思い出をお裾分けしてもらった。

 実は私にもフランスの思い出がある。だがどれも何となく、苦いものばかりだ。


 38年前、初めてのパリは、団体旅行で訪れた。はずせない見所満載のフルコース。ルーブル美術館など、半ば走るように見学した。

 3週間の旅も終わりに近づき、日本食が恋しい空腹の我々は、パリ中心部で、“うどん” の暖簾に引き込まれた。同じような日本人観光客で、なかなかの混雑ぶりだ。
 案内された席に友人と並んで座ると「みみこ?」と聞き慣れた声がする。顔を上げると、こんな所にいるはずのない親友が、驚きの眼差しで私を見ている。なんでー!?思わず立ち上がってしまった。

 そうだった。彼女は大学が企画した旅行に参加中で、同じ頃パリに居ると言っていた。言ってたけど、わずか数日のパリ滞在、何故ここで会う?!せっかくの海外旅行が興醒めではないか!

 うどん食べてる時点で既に興醒めだけど‥。
 とにかく、ここでは会いたくなかったのに。


 その3年後、今度は自由な旅。ヨーロッパ中の列車に乗り放題のパスを買い、ロンドンを出発した。このパスがあれば、どんな列車も自由に乗れると思い込んで。

 パリで寝台車に乗り、発車までくつろいでいると、駅員さんが2人、何か訴えている。
 ???
 フランス人はフランス語にプライドがあるから、無闇に英語を話さないと聞いてはいたが、本気でフランス語で文句を言ってる。

 何を言ってるの?

「ノン!ノン!」はわかる。要するに、私のパス、寝台車はダメだと。

 そんなに怒らなくても‥。とにかく、非常に不愉快な顔をされた。詳細を調べもせずに乗った私が悪いけど、さすがに悄気る。
 しかし、なんとか、予定通り目的地シャモニーへ向かった。


 数日後の早朝。今度はシャモニーからバスでモンブラントンネルを抜け、イタリアのアオスタへ。そこで列車に乗り換えて、ミラノへ向かう計画だ。

 国境を越えるので、途中バスの中でパスポートチェックを受けた。

 暫くすると、ターミナルのような所で乗客全員バスを降りた。私は休憩だと思い、今降りたバスがくるりと回って来るのを待って再び乗車した。よしよし、次に降りる時はアオスタだなと、安心して眠った。

 さて、眠っていると、またもやパスポートチェックだと言われて起こされた。私は寝ぼけていて、また?と、うっすら疑念を抱いたが睡魔には勝てず、直ぐに眠りに落ちた。

 街に着き、バスを降りた。
 見覚えのある町並み。

 chamonix シャモニー

 シャモニー? Why?

 せっかく国境を越えたのに、乗るべきバスを間違えて、戻って来てしまったんだ‥。
 そんなぁ〜もう、泣きたい。


 しかし気を取り直して、再チャレンジ。注意深くバスを乗り継ぎ、今度こそアオスタに着いた。今日中にミラノに到達したい。
 駅構内を大きなバックパックを担ぎ小走り。目はミラノ行きを探していた。さほど大きな駅ではないのに、焦りのせいかミラノ行きのホームがわからない。既に待機している列車もある。

 その時、何故だか辺りには何人ものおじさんがいて、どこに行くのだ?と私に聞いている。このおじさん達は何をしているのだろうと疑問に思いつつ「ミラノ!」と叫ぶと、「ミラノ!ミラノ!」と、皆一つの列車を指差して教えてくれている。雰囲気的に急がなければならないと悟った。
 私は走る。おじさんも何人か一緒に走っている。そして間一髪、私は列車に飛び乗った。

 おじさん達は、良くやった!って感じで手を上げている。おじさん達、こういう係なの?いや、まさか。私はガッツポーズで応える。グラッチェ!まるで金メダルでも取ったみたい。


 数時間後、ミラノ駅に降り立った時は、もうすっかり陽が落ちていた。予定は大幅にずれたけれど、宿もすぐに決まり、結果オーライ。
 イタリアはいい感じかも知れない予感。(こののち、様々な事が起こるのだが‥)


 懐かしい、悲喜交々の思い出。フランスとは、あまり相性の良くなかった私だけれど、今となっては、全てが大切な宝物だ。

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