父の誕生日㊗️91歳
つい先日は、父の満91歳の誕生日だった。
91年前というと、まだ戦前の1933年である。
年の瀬も近づき、今日は家族総出で餅つきの日。臨月を迎えた父の未来の母は、嫁ぎ先で餅つきの合い取り(捏ね手)を勤めていた。
餅つきは、新しい年を迎えるための大事な仕事。合い取りはつき手と息を合わせ、リズム良く、そして素早く動かなければならない。大きなお腹でそれは大変なことだったろう。セイロで蒸された熱々の餅米を杵でつく度に、捻ったり畳んだりひっくり返したり、力も要したに違いない。
しかし、明治の女性はあくまでも強い。役目を全う、餅つきは無事終了し、見事に餅がつきあがった。
その直後だった。父の未来の母は、お腹の痛みに気づく。やにわに陣痛がやって来て、そのままお産が始まった。気持ちだけでなく、健康で身体も強い人だったのだろう、間も無く男の子を出産した。餅つきの手も洗わぬうちに。捏ねた餅がくっ付いて、肘の辺りまでカッピカピ。
一家待望の長男誕生だ。
これは、私が父から聞いた、父誕生の話である。それは同時に祖母が父の母親になった瞬間でもある。
私はふと、こんなことを思った。
自分の誕生日については、世界中の誰一人として確信を持つ者はなく、その日が本当に誕生日かどうかはわからない。それは自分の記憶ではなく『聞いた話』であり、そう教えられたに過ぎないからだ。
真実を知る者は、お産の当事者である母親と、近くにいた家族か親戚か、あるいは産婦人科医か。父の生まれた時代なら、お産婆さんだろう。
そう考えると、誰かの誕生日は、むしろ、その誰かの未来のお母さんが、本当に母親になった日。誕生日おめでとうは、お母さんになった記念日なのだ。
お婆ちゃん、お父さんのお母さんになった91年目の記念日、おめでとう。心の中でそんな祝辞を天国の祖母に向けて発信した。
そしてもちろん同時に、お父さん91歳のお誕生日、おめでとう。すごいね!
そして、いつもありがとう。
小さな真っ白いケーキに、うす紫色の9と、真っ赤な1のナンバーキャンドルを立て、父と母と私の3人で誕生祭を盛大に執り行なった。大好きなお寿司と赤ワインを、ゆっくりゆっくり堪能しながら。
この日、北の大地はまるで厳寒期のように寒かった。91年前の今日、父が生まれた日はどんな天気だったのだろう?
羽毛布団も、高性能ヒーターも無い。父の故郷は炭鉱町だったから、石炭ストーブはあったのかな?いずれにせよ、家の中は今より数倍寒かったことは疑う余地が無い。間違いなく“しばれる”寒さだっただろう。
しかしそれでも家中に幸せが溢れていたに違いない。つきたてのお餅と共に、生まれたての赤ちゃんまでやって来たのだから。
昭和8年12月20日、一家の未来を託す、夢や希望がいっぱいの真新しい命が出現した日だ。