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イタリア物語 〜 『フランスとは、あまり相性の良くなかった私だけれど‥』続編

 フランスとイタリアの国境付近で、私はあろう事かバスを乗り違えた。それでもなんとかミラノへ辿り着き、イタリアの旅が始まった。相変わらず、行き当たりばったりの旅である。

 アイテムは、トーマスクック(時刻表)、ガイドブック、列車のフリーパスの3点。加えて、怖いもの無し、根拠のない自信、意外とある体力、つまり若かった。

 私の旅は、基本2、3日で次の町へ移動する。

 湖の見えるこじんまりとした美しい町に行った時だ。食後にエスプレッソを頼んだら、さすがイタリア、苦味のきいた本格派。牛乳が欲しくて、お店の人に「ミルク プリーズ」と連呼したが、全く通じない。ジェスチャーを交えて「ホワイト」なんて言ってみたけれど、全然わかってもらえない。
 店内のお客さん全員の注目を浴びている気がして、ふーん、この町の人はこの飲み物に牛乳は入れないのですね、と諦めかけた時、遠くの席から1人の紳士が近寄って来て、通訳してくれた。『ラテ』、そうだよ、カフェラテのラテ!全く思い浮かばなかった‥。
 田舎町では、往々にして英語が通じない状況に出くわす。


 その後、順序は忘れたが、フィレンツェ、ローマ、ベネツィアなどへも足を運んだ。

 各地で遺跡や聖堂、美術館や博物館を巡ったが、受胎告知からイエスの受難と、宗教画を間断なく目にし、キリスト教徒ではない私は眩暈を覚えるほどだった。
 しかし、それら貴重な産物を目の当たりにできたこと、この地でキリスト教がどれほど人々の精神や生活に根付いているのかを体感できたことを思うと、よくぞ見に行ってくれた!と当時の自分を褒めてやりたい気分だ。

 しかし、最も忘れ難い思い出は、アッシジへ向かった日のこと。その日も無計画で、丘の上のフランチェスコ聖堂までバスと徒歩で登っていった。たどり着いたら、先ずは宿探し。しかし、簡単に部屋は見つからない。どこも満室の札を下げている。
 夜になっても、町中が巡礼者や旅人で溢れている。私もその中に混ざって、あちこちを見ながら宿探しを続けたが、結局空き部屋は見つからなかった。

 バスに乗り、駅まで丘を下る。もう夜も更けた。駅のベンチでトーマスクックを広げ考える。列車で眠って、乗り継ぎながら次の街へ行けば良い。とりあえず乗っちゃおう!

 空いているコンパートメントを見つけて乗り込んだ。スライド式のドアは鍵が無く、ジーンズのベルトで内側からドアを固定。本来こんな使い方はNGだろうが、背に腹はかえられない。バックパックを枕に眠った。


 真夜中、ドアを開けようとするヤツが来た。誰だか知らんが、絶対に開けさせる訳にはいかん!車掌ならあとで謝ろう。ベルトが外れてはマズイので内側から必死で押さえていると、“なんだコイツ⁈”って感じで、あきらめて去っていった。

 翌朝、私は何処かの駅へたどり着いたのだろう。


 インターネットはまだ普及前、勿論スマホなんて無い。トーマスクックとフリーパスだけが頼りだ。
 己の若さ恐るべし。(人はそれを無謀と言う)

 細かなルートなど既に忘却の彼方だが、充実の日々だったことだけはしっかり刻まれている。私のイタリア物語の1コマである。

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