東北ドライブ旅行
1972年9月15日。三連休を利用して家族で青森、秋田を旅した。赤い2ドアの、見た目は小さなスポーツカーが室蘭市の自宅を出発した。
私は小2、兄は小5。まだ、幼かったけれど、もう、現在の私たちの小型版。簡単に命名すると、歌謡曲少年とスポーツ少女。
持ち物の中に、テープレコーダーと画板。それと、今回は父の会社の青森支局に泊めてもらうため、布団一式も積んだ。ちなみにテープレコーダーは、原稿を書いて、この旅を音声で記録していこうという考えだ。
先ずは函館まで国道を走る。鮮明に記憶しているのは、長万部、ここは毛がにの町。早速、原稿を書いて録音することになった。ここまではずっと兄が読んでいたのに、ここは私に読めと言う。私はこういう事はあまり得意ではなかったので嫌だったけど。
「2時30分長万部に着いた。町には毛がにと書いた看板が、あちらこちらに見られた」
ただそれだけ、棒読みで。しかし、今も覚えてるんだから、相当練習したんだろか?かにめし弁当をみんなで食べた。
函館の五稜郭タワーから街を眺めた後、連絡船『十和田丸』で出航だ。車ごと船に乗り込んだと思う。初めてのことばかりで、嬉々としていた。
青森駅前では頬かぶりの女性たちが、りんごの入った木箱を並べて、声をかけている。
「りんご、かって、くれねか?」
うん?と首を傾げたが、すぐにわかって、母とりんごを買った。
2日目は弘前や十和田湖へ足を伸ばし、秋田は大館、能代に立ち寄って、八郎潟が見渡せる宿に泊まった。翌朝、青森へ戻るため、辺り一面田んぼの中を走る。季節的にはちょうど刈り入れの時期だったかもしれない。だとしたら、私は一面の黄金色をこの目で見たのだろうか。
青森港は曇天、風が強い。台風が近づき、なんと連絡船が欠航してしまった。今なら、先々の天候も確認できるし、ネットで宿を探すことも出来るが、何もわからない。電話帳で探して何軒か当たってみたが、どこも満室。我々のように突然足止めを喰らった人でいっぱいなのだろう。
というわけで、車中泊に決定。
前述の通り、2ドアの小さな車。しかし、幸いにも布団一式を積んでいる。父が運転席、母が助手席、それぞれシートを後ろに倒す。後ろの座席には兄が横になってすっぽり収まった。私の場所は、運転席と助手席の間しかない。ここで画板が大活躍!2枚敷いて、布団をのせて、足はフロントガラスに向かって放り出す。ちょっとしたサバイバルだが、寝床は完璧だ。今なら到底眠れないだろうが、爆睡した。あんなこと、後にも先にも一度きりだが、かけがえのない思い出だ。
そして翌朝、船は出た。
なぜ詳しく覚えているのか?
実は、写真やスタンプ、弁当や割り箸の袋、新聞の切り抜きなどを画用紙に貼って作った『東北ドライブ旅行』という一冊が、実家で見つかったのだ。
両親の若いこと、兄と私のかわいいこと。思わずエッセイに書きたくなるほどに懐かしい。