「ひとごし」
連休最終日。
予約していた友人のオンラインヨガ。
狙い通り最高の朝になる。
5時半のリビングはあんなにも真っ暗で、私の身体は、まだ夜だと言い張っていたのに、次第に
私の背中越しに朝陽が昇る気配を感じて、パソコンの画面からは友人のリビング越しの湘南の朝陽が見えた。素晴らしい天体ショーを見ながら身体はまるで猫のように喜んで伸びた。
その勢いで家中のラグをベランダに干し、まだ家族が起きてこない朝のうちに床をピカピカに磨き上げる。あぁ気持ちがいい朝。
午前中のこの勢いを逃したくなくて、そのまま図書館司書の初めてのメディア授業を受ける。教科書じゃあんなにも頭に入ってこない内容が、パソコン越しといえど人が教えてくれることで、ちゃんと噛み砕けた。4つのセクションから構成されている第1回をサクッと受講できてしまった。
とまぁここらへんで集中力がまんまと切れたのでリビングに戻り、ネックレスはこっちがいいだとトップスはインがいいだの出かける長女のおしゃれ相談に次女とあーだこーだと物言いして、コーヒー休憩しつつ、長女を送り出した。
お昼の後は、ウクレレ練習。ユーミンの「やさしさに包まれたなら」、せっかく弾けるようになっていたのに、先生のアドバイス通りにフォームを直したらまた弾けない人になってしまった。いや、正しいフォームは大事なんだけどね。でも悲しいよ。指ってこんなにも言うことをきかなかったっけ。今月末の「あおばを食べる収穫祭」で本番を迎える私たち音楽隊。果たして間に合うのか?ウクレレ以外にも私は他の曲では打楽器🪘をする予定なので、YouTubeを見ながらルパン3世の音楽に乗せてタンバリンをひたすら叩く。はたから見たら絶対シュールだ。窓に映る自分に笑ってしまう。
本屋さんでのバイトの時間がせまってきて、急いで支度する。そしてお財布忘れて駅で気付いて戻る私は今日もサザエさん。隣町の独立系本屋さん的な要素を持つ「本屋・生活綴方」でお店番をしている最近。到着して早番の人と交代。今日はとても賑わっていた。本がどんどん売れていく。
ふと思った。店長の鈴木さんが言うには、ここには2000冊の本があるとのこと。店内を何度も見渡しているとなんとなくタイトルも覚えていく。なのに、レジにお客さんが持ってくる本はいちいち新鮮だ。お客さんはまるで宝探しのように自分に合う本を見つけて手に取って帰る。それどこから見つけてきたの?と思う時は、私のアンテナには引っかからず見つけられていなかった本だ。へぇこの本を選ぶ人いるんだと思う時は、興味なかったくせに、手に取られていくと本に興味が湧く。こういう人がこの本を選ぶのか、、と思う時は、人と本の相性が意外だったりして、人に興味が湧く。きれいな女性が「数学する人生」を買って帰ったり、若い男の子が長田弘の詩の本を選んでいたり、あぁ、具対的なタイトル忘れてしまった。もっとあるんだ。次回メモしてきます。
私は逆に今日は自分で選ばす、店長鈴木さんのおすすめを教えてもらった。お客さんのセルフセレクト、要は自分自身への選書を見続けていたら、この本屋の素晴らしい選書を一手に引き受けている鈴木さんが選ぶ本も見てみたくなったから。今月末に新幹線で帰省するので、そのお供を探していることを伝えると選んでくれたのは、小津夜景の「いつかたこぶねになる日」だった。「まず旅だから軽い文庫。そしてこの人はとっても文章がきれいで、途中漢詩なんかが出てきちゃって、慌てるんだけど、ちゃんと素晴らしい着地を見せるから」。そこまで言われたらもうこれしかない気がしてきた。
夜になったら冷えてきた。そろそろ閉店時間。今日はレジ締めは鈴木さんがしてくれると言うのでありがたく帰ることにした。たこぶねの本を買ったせいだろう、単純な私はたこ焼きが食べたくなった。同じ商店街にあるたこ焼きとハイボールのお店に寄ろうと思ったら「店長が疲労困憊のため今日は早く閉めます」と張り紙があった。ローカルな働く人にもやさしい商店街だなぁと感じる。お大事にと心で呟いて、明日の朝のために並びのパン屋さんで娘たちにパン・オ・ショコラ、自分用にシナモンロールを買って帰った。
今日はヨガでリビング越しの朝陽を感じ、メディア授業もパソコン越しに理解が深まった。なので本も「人越し」に手に取ってみたくなった。電車を待ちながらパラパラと本をめくると、少し難しい気配がしたけど、そのままパタンと閉じる。これは新幹線に乗るまでお預けだ。わくわくしたままにしたかった。
帰ったら娘たちが私が浸水だけさせておいたお米を予定通り土鍋で炊いてくれていたんだけど、なぜか失敗していた。いつも通り中火で11分、弱火で4分を指示通りにしたと言う。原因がわからず不思議だったけど、固いご飯は明日お粥にすることにして、パン・オ・ショコラとシナモンロールは思いがけず今夜の夕食になった。