Beyond CONTROL
たまに寝た子ゲリオン発動と冷やかされるくらい制御(コントロール)不能な自分が、時々たまらなく嫌になる。
一方で、ひどく落ち込んだり悩んでいる友人を前に、その人がきっと求めているはずの言葉が見つけられず、代わりにガラクタみたいな言葉しか伝えられない自分のこともこのポンコツ野郎となじりたくなる。
この自他含む現象を一言で言うならば、
beyond CONTROL
かもしれない。
昔、どこかの首相が海外のメディアに誇らしげに言っていた
under CONTROL
の真逆の言葉である。
しかし、一見、ネガティブで無価値だし、僕自身、繰り返すけど、嫌いで仕方がないこの状態に、実は、
僕らの人生を想像以上に豊潤にする萌芽のようなものがあるのでは?
とうっかり思わせる映画があったことをふと思い出す。
その映画の名前はずばり
CONTROL
アントン・コービンという気鋭の写真家の映画監督デビュー作だが、正直、前評判倒れで、決して名作とは言えないこの作品。
でも、自分的にはなんだかずっと気になって仕方がない映画でもあるんだな、これが。
てんかんもちでステージ上で発作を起こす危なかしくて仕方がないバンドのフロントマンが主人公のドキュメンタルチックな映画は、タイトルのCONTROLとは正反対の、理性よりも感性、いや瞬間、瞬間のもはや脊髄反射に等しい彼の激情によって、自分も周りの人々もどんどん制御不能になっていく様子が描かれる。
果てには、
Love will tear us apart(愛が僕らを引き裂く)
と歌い、念願のアメリカ進出を決めて飛行機で経つ当日に、自ら命をたつ主人公。
映画では触れられていないが、その自死の仕方がかなり独特で、彼は天井から吊るされた縄を首につけた状態で、大きな氷の塊の上に座り、縄がしっかりと首を締めるまで氷が溶けるのを待ったと言われている。
生涯に渡りコントロール不能な人生を送ってきた彼が、まるで最後の瞬間だけは、自分のコントロール下に置きたいと願ったかのように…。
このあらすじだけ聞くと、なんともご愁傷様という他ない救いようのない話だけど、彼らが残した作品の、その後のポップミュージックに与えた影響の途方もなさを見たときに、彼の制御不能で破天荒な生き様が発した擦過光こそが、そのアートの根幹となり、いつまでも鈍く光り続けているようにすら僕には感じられる。
そして、本当に大事なのは、きっと誰かや何かをコントロールするとかしないとかではないのだろう、ということになんとなく気づく。
そう、自分に嘘をつかずに正直に生きさえすれば、どんな愚かな人間にだって、それぞれ形は違えど、何らかの神の福音が必ず訪れるはずなのだ。
だからこそ、僕は、このうまくないbeyond CONTROLな自分の本当の気持ちに今まで以上にきちんと耳を傾けていきたい。
自分の幸せのカタチは、絶対に自分にしか分からないのだから。
If you are beyond control, this world will become beyond our imagination.
そう、この世界は、人智なんかじゃ絶対に測定不能なもっともっととてつもなくて、えげつないものなんだ。
ブルーに染め切るのはまだまだ先でいいのさ。