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ダイエット
標縄福子(しめなわふくこ)は、高2のどこにでもいる普通の女の子。
そう、体重100kgを超える巨漢であるという事実を除いては。
実は幼い頃はスーパーのチラシのモデルをするくらい可愛かった彼女がこうなったのは、本人も自覚する通り、ある日を境に、とにかくよく食べるようになったからだった。
そんな彼女にとって食べることはもはや一種の儀式(イニシエーション)のようなものだった。
そう、ムシャムシャと食べ物を咀嚼しながら、
父親が外に女性を作って家を出て行った日のことや
その父親に自分の見た目がどんどん似てきているのを母親から忌み嫌われてきたことなど
そんなモヤモヤたちを掘り起こしては、再びそれをまた自らの意識の深層に戻すという儀式を繰り返すことで、福子の気持ちは少しだけ軽くなるのだった。
つまり、彼女は、自分の精神の健やさを保つために、どんなに太っても食べることを止めるわけには行かなかったのである。
ドンストップ イーティング!
しかし、そんな規格外に太っちょな女の子に対して、世間はまるで当たり前みたいな顔して冷たかった。
けど、小学生時代からの親友、カズノコだけは違った。
どんなに見た目が変わっても幼い頃と変わらず自然体で接してくれる彼女とだけは、どーでもいいくだらない会話や互いに言いたいことを言い合えたのだ。
そんないつもの週末、二人で近所の本屋にいたときのことだった。
偶然、カズノコの片恋の相手だった男の子(角松くん)と遭遇し、そのカズノコと角松くんの甘酸っぱくも初々しいやり取りを見せつけられた福子は、恋のキューピッド役を買って出る。
そう、後日、カズノコに内緒で、彼から電話番号を聞き出し、それを彼女に伝えたのだった。
そして、この彼女のおせっかいは見事に実を結び、これをきっかけにカズノコと角松くんは晴れて付き合うことになる。
やったあ!とガッツポーズしながら、なんとなく心がチクッした福子は、カズノコに向かって
「もし私がダイエットに成功したら、ご褒美に2人のデートについて行っていい?」
という提案をしたのだった。
困惑しながらも、その奇妙な提案を承諾するカズノコ。
そして、数ヶ月後、約束通りダイエットに成功した福子は、スラーっとモデルみたいにスタイルがよく、目鼻立ちもぱっちりな超絶美少女に変身していた。
すると、そんな福子のもとに、まるで手のひらを返したように、今まで彼女を無視したりブス呼ばわりしてきた男子生徒たちから何十通ものラブレターが届き、果てには彼女のファンクラブまで結成される始末だった。
でも、当の本人はそんな突然のモテ期到来にも全く浮かれる様子もなく、ただただ当初の目的だった、カズノコと角松くんのデートに参加できるのが楽しみで仕方なかったのだった。
そして、デート当日
行きの満員電車の中でさりげなく周りの乗客から自分を守ってくれたり、手作りのお弁当に心から感謝の言葉を伝えてくれる角松くんの紳士っぷりに触れた福子は、そのどれもこれもが初めての体験で、もはや嬉しさを通り越して、ハラヒレヒレハラと目が回るような気持ちになっていた。
一方、その2人の様子を隣で見ていたカズノコは、
「福ちゃんの方が私よりずっと角松くんとお似合いかもしれない」
と複雑な気持ちになっていた。
そして、その日を境に、カズノコは福子に対して、どうしてもつれない態度を取ってしまうようになり、もう2人で下校することもなくなってしまった。
そんなある日の帰り道
福子は、偶然、カズノコと角松くんの姿を見かける。
声をかけようとしたけど、2人が何やら神妙な面持ちだったから、そのまま2人の様子を見守ることにした。
「角松くんは、福ちゃんのことどう思っているのかな?」
「もちろん僕が好きなのは君だよ。君の友人の福ちゃんはいわば大切なゲストだから、丁重に接しているだけだよ。」
そんな風に改めてお互いの気持ちを確かめ合えたカズノコと角松くんは、顔を見合わせて、タハッっと照れ笑いした。
「私はゲストかあ…」
またもや心がチクッとした福子は、帰宅後、久しぶりにたくさん食べてモヤモヤを解消しようとしたけど、その日はどんなに食べても、あのニルヴァーナの境地には達しなかった。
そして、その翌日、福子は、再びおかしな提案をカズノコにしたのだった。
「これから私また元の体型に戻るから、そのときにまた2人のデートに参加してもいいかな?」
そして、約束通り、太っちょの女の子に戻った彼女は再び二人のデートについて行き、そして、角松くんから前回と寸分も変わらない紳士的なおもてなしを受けて、ホッとひと安心する。
「ああ、角松くんは他の男の子と違って人を見た目で判断しない本当に信頼できる人だ。これでカズノコも安心だ。」
そのデートの後、3人は今年のクリスマスはみんなでプレゼント交換しようと誓い合う。
そして、福子が2人のプレゼントを探しにデパートに行ったときのことだった。
一階のアクセサリー売り場で、キャッキャッとはしゃぎながらクリスマスプレゼントを物色している父親らしき中年男性とその娘らしき少女を見かけた福子は、うざいなーと思いながら通り過ぎようとしたのだけど、なんとその男性は、別れた自分の実父だったのだ。
そして、よく見ると、その女の子はどことなく小さい頃の自分に似ていた。その少女は父親に対して「これ欲しい、これ欲しい」と無邪気にプレゼントをねだっていた。
この2人の様子を見た福子は、またダイエットを再開することを決意する。
しかも、今回はカズノコから
「まるで形状記憶合金だね」
と呆れられるくらいあっさりと成功したのだった。
そして、昔の面影を残す美少女の姿で、福子は実父に会いに行ったのだった。
でも、久しぶりに再会した2人の会話は終始よそよそしくチグハグで、あの少女みたいにはまったく行かなかった。
挙げ句の果てに、
「クリスマスだからプレゼントを買ってあげよう」
と父に連れてこられたあのデパートであの娘が選んだブレスレットの色違いを買ってもらったときも、
「いえいえ、こんな高いの受け取れません」
と素直に喜ぶどころか、ただただ恐縮するばかりだった。
そう、残念ながら福子の過去の幸福追求は
「見事失敗に終わった」
のだった。
そして、3人で会う約束をしたクリスマスの当日
福子が息を切らして待ち合わせのカフェに行くと、なぜかそこには角松くんしかいなかった。
実は福子が彼に気があると勘違いしたカズノコは、福ちゃんと角松くんを2人きりにさせてあげようと気を利かせて彼女が来る前に帰ってしまっていたのだ。
でも、角松くんは、福子が喜ぶどころか、カズノコがいないことに明らかに意気消沈している様子を見逃さなかった。
角松くんに2人分のプレゼントを渡した後、すぐに家に帰った福子は、その日の夜、冷蔵庫に駆け寄り、まるで餓鬼にでもなったかのように、片っ端から食べ物を口に入れ始めた。
しかし、なぜか食べ物を飲み込もうとするたびに必ず激しい吐き気が襲ってきて嘔吐を繰り返してしまうため、一向に食べ物を食べることができない。
「え〜なんでよ〜」
と途方に暮れる福子。
一方、同じ頃、角松くんとカズノコは福ちゃんからもらったお互いのプレゼントについて話し合っていた。
それは、ペアのマグカップだった。
「なんだか子供からパパとママへのプレゼントみたいだね」
とカズノコ。
それを聞いた角松くんは、何かに気づいたようにハッとしながら、でも
とても真剣な面持ちで、
「うん、確かにその通りかもね」
と答えたのだった。
そして、冬休みがやってきた。
みんなで約束をしていた公園デートの当日、カズノコと角松くんが福ちゃんを待っていると、まるで柳の下の幽霊みたいに頬は痩せこけ、目はクマだらけの変わり果てた姿の彼女が現れた。
そう、福子はあのクリスマスの夜からずっと食べても吐いてしまう日々が続いていたのだった。
心配する2人をよそに、
「食べたらきっと元気になるわよ〜」
とケラケラとか細い声で笑う福子。
ひとまず3人は公園の芝生の上にレジャーシートを敷いて、早速、みんなで福子が作ったお弁当を食べることにした。
無言のまま一心不乱に食べ物をかき込む福子。
「うん、ちゃんと美味しい。今日こそちゃんと食べれそうだ。」
けど、しばらくするとまたあの忌まわしい吐き気が彼女を襲ってきて、口を両手で塞ぎながら、福子は慌ててトイレを探し始める。
しかし、なかなかトイレが見つからない。
「2人にゲロを吐く姿なんて見られでもしたら、私もうこの先、絶対に生きていけない」
と焦る彼女は、必死に耐えるものの、結局、彼らの目の前で大量の吐瀉物を吹き出してしまい、ショックのあまりその場で意識を失ってしまう。
薄れゆく意識の中で福子は、
「恥ずかしいから、いっそこのまま死ねばいい」
と願っていた。
そして、目が覚めたとき、彼女は病院のベッドの中にいた。
どうやら(残念ながら)事切れてはいなかったらしい。
「ああ、もう恥ずかしくてあの2人には2度と会えないな〜」
と福子が嘆いていると、そばにいた看護師さんが
あの日、ゲロまみれのまま気を失った彼女のことを身体が冷えて風邪をひかないようにと救急車が来るまでカズノコがずっと抱きしめていた
という事実を教えてくれたのだった。
数日後、そのカズノコがお見舞いに来て、食事療法中でお菓子を禁止されている福子に、こっそり手作りのクッキーを渡した。
「きっと少しくらいなら大丈夫だと思うよ」
彼女が帰った後、福子は目の前に置かれた小さな可愛らしい巾着袋を開けて、その中の小さなクッキーを一口噛んでみた。
カリリ…。
ココアのほのかな香りと甘い味がした。
彼女は、生まれてはじめて食べ物を
美味しい
と思った。
外には雪が降っていた。
このとき、カズノコは角松くんと一緒にあの公園に来ていて、彼に対して、こんな奇妙な提案をしていた。
「私たちふたりが福ちゃんのお父さんとお母さんになろう」
角松くんは一瞬動揺したけれど、すぐに彼女の真意を理解して、最後には
「よ、よっしゃあ〜。お、お父さんになったるで〜!」
と雪が舞い落ちる真っ白な空に向かって大声で誓ったのだった。
おしまい
以上、僕が高校時代に読んだ大島弓子の「ダイエット」のうろ覚えなあらすじです。確か当時は拒食症という言葉が初めて世の中に知られて話題になっていた時期だと思います。