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おばあちゃん ごめんね ありがとう 愛してる

僕の名前は、カズヤ。

僕は、生まれてまもなく、母の実家に預けられたおかげで、無類のおばあちゃん子に成長した。

ちなみに、僕が実家に預けられた理由は、双子の兄貴のタツヤの夜泣きがとにかくひどくて、母が二人同時に育てるのが困難だと判断したからだった。

そんな僕は、ずっとおばあちゃんのことを実の母親だと思い込んで、そして、彼女の愛情を目一杯受けて4歳まですくすくと下関という地方の港町で育ったのだった。

だから、突然、お母さんだと名乗る若い女の人がやって来て、僕とおばあちゃんを引き離したときはとても辛かった。

タクシーに乗せられて、大好きだったあの平屋のお家がどんどん遠くなっていくのを眺めながら、わんわん泣いたのを今だに鮮明に覚えている。

そんな風に、幼くして、世の中の不条理を知った僕は、本当のお父さん、お母さん、お兄さんと言われた人たちと一緒に大阪という大きな街で暮らすことになった。

正直、みんなよく知らない人たちだったから、できるだけいい子におとなしい子でいようと努めた。

でも、どうも僕は人よりちょっとどんくさいところがあるらしく、そんな僕のことを父は仕切りにからかったり、馬鹿にしたりした。

「なんやおまえ、そんなこともできへんのかいな。ほんま、どんくさいやっちゃなあ・・。」

あと、お父さんは明らかに長男のタツヤのことをえこひいきしていて、夕飯の自分のおかずを彼だけに与えることもしばしばだった。

でも、何気にいちばん辛かったのは、めずらしく父が僕の手をつないで歩いてくれてると思っていたら、その手が僕のものだと分かった瞬間に

「ああ、間違えたわ」

と言って、僕の手を振り払ったことだった。

そんな僕の様子を間近で見ているはずなのに、お母さんもタツヤも何も言ってくれなかった。

むしろいつしかタツヤは父親の真似をして、僕のことを馬鹿にするようになっていた。

つまり、これが本当の家族だよって連れてこられた場所に僕の居場所はなかったのだった。

でも、春休み、夏休み、冬休みの年に3回は、田舎に帰れて、その度におばあちゃんに目一杯甘えることができたから、僕は何とか大丈夫でいられた。

そして、気づいたら僕は割とたくましい青年に成長していた。

ちなみに子供の頃、勉強もスポーツも万能で両親の期待を一身に背負っていたタツヤは、高校時代に不登校になってしまい、その後、逃げるようにして田舎の大学に進学してからは姿を見ていない。

一方の僕はと言えば、勉強はほとんどしなかったから、たいした大学には入れなかったけど、就職先はおばあちゃんも勧めていた堅実な公務員を選んだ。

そして、その頃の僕は、プライベートもすこぶる充実していた。

週末は気の置けない数人の友達と一緒にキャンプや野外フェスに行ったりしてめちゃくちゃエンジョイしていたし、それより何より僕には将来を誓い合ったとても素敵な彼女がいたのだった。

すでにおばあちゃんにも彼女のことは何度か紹介していて、おばあちゃんからも「とてもいい子だね」ってお墨付きをもらっていた。

そんなある日のことだった。

いつもどおり残業をして20時過ぎに職場を出た僕は、原チャリで彼女と同棲中のアパートに向かっていた。

「仕事もようやく慣れてきたところだし、彼女との付き合いもなんだかんだ5年目を迎えたところだ。そろそろおばあちゃんに、うれしい報告をするタイミングかもな~。」

そんなことをぼんやり考えながら、国道の大きな交差点をウィンカーを出して右に曲がろうとしたその瞬間だった。

車のヘッドライトの白い光がまばゆいくらいの大きさで目の前に急接近してきたのは。

・・・・・。

気づいたら、僕は病院のベッドの上で寝ていた。

いろんなチューブが体中のいたるところにぶっ刺さっていてすごく違和感があったけれど、というか左目に眼帯がしてあったから、片目しか見えなかったけれど、僕はおそるおそるそんな不自由な体を起こして辺りを見渡した。

すぐにベッドの隣におばあちゃんが座っているのに気がついた。

子供の頃の僕が

「おばあちゃんだったら、あの「猿の惑星」にもかぶりものなしで絶対に出演できるよ!」

とよくからかっていた、あのユーモラスなお猿さんそっくりの

懐かしい顔がすぐそばにあった。

僕は途端にとても心が安らぐのを感じた。

でも、ひとつだけいつもと違うのは、そのおばあちゃんの猿みたいにちっちゃな両目から、

涙が

ぽろぽろ 

ぽろぽろ

ぽろぽろ

とこぼれ落ちていることだった。

おそらくこのとき僕はおばあちゃんが泣いている姿を生まれてはじめて見たかもしれない。

そして、その様子を見て、なんとなく僕の身に起こった出来事を理解した僕は

そんな彼女に向って、

「おばあちゃん、心配かけて、ごめんね」

と謝ったのだった。

僕と彼女が、おばあちゃんが大好きな京都に彼女を招いて祝言を挙げたのはそれから2年後のことだった。

そして、その1年後におばあちゃんは亡くなった。

そんなまるでふざけた映画みたいな人生を送った僕にとって、この世界はずっと不条理で不可解に満ち溢れたものだったのかもしれない。

でも、その一方で、

この世界にはちゃんと愛もあるから、きっと大丈夫だよね

と思えている自分も確かにいるのだった。

もちろん、それもこれもみんな

おばあちゃんのおかげである。

だから、

ありがとね、おばあちゃん

ずっ~と愛しているよ。




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