N.O.T.E的幸福論
みなさんには、目覚めたら、とにかくめちゃくちゃかなしい気持ちになっていて、しかも、その理由が何かも明確に分かっている、
そんな朝
を迎えた経験はあるだろうか?
ちなみに僕にはある。
というか今朝がそうだった(笑)
そして、こーゆーときにいちばんやってはいけないのは、かなしみの理由にずっととらわれてしまうことだと僕は思っている。
それをしちゃうと、自分を慰めた挙句、被害者意識の権化みたいになり、大抵ろくなことにはならないからだ。
だから、僕はその代わりに最近、自分に起きた楽しい出来事を思い出すことにした。
それは日曜日、駅のホームの待ち合わせスペースでのこと。
ベンチに座るなり、僕はもう話したくてたまらないといった感じで隣に座る息子に向かって、先日、新シリーズが始まって家族3人でそれを観るのがちょっとしたブームになっているある恋愛リアリティーショーの話題を話しかけたのだった。
「「バチェロラレッティ」のあのボイパの人、めっちゃカッコよかったよね!」
それに対して、息子は明らかに迷惑そうな顔を浮かべながら、
「お父さん、周りに人がいるのにちょっと声が大きいよー。あと、タイトル間違っているし。」
と冷静に咎めてくれたのだった。
そして、このときの彼のリアクションから僕は初めて
「ああ、そうか、この番組は人様の前で話すにはちょっと恥ずかしい番組なんだ」
ということに気がついたのだった。
ちなみに、すぐにネットで確認したところ、正式な番組の名前は
「バチェロレッテ」
だった。
でも、これに関しては正直、「ほとんど一緒やん!」と思った。
しかし、このどうってことのないやり取りがなぜ楽しい思い出なのか首を傾げる人もいるだろうから、少し説明しよう。
実は、「これだからお父さんは…」と呆れながらも、なんとなくそんなヒジョーシキで頭のネジが2、3本外れた僕のことをどこかで痛快に思っている節が彼にはあって、そのせいでニヤけている彼の表情を僕は見逃さなかったからだ。
そして、そのビミョーに分かりづらい彼の笑顔を思い出すだけで、とても幸せな気持ちに満たされている自分が確かにいて、おかげさまで、今日も僕はかなしみのビッグウェーブに足元をすくわれてしまうことなく、まあまあ元気に会社に行けそうなのであった。
以上を踏まえたわたくしN.O.T.Eの幸福論
それは、
愛する人からもらったしあわせは、それがどんなにちっぽけなものだとしても、大きなかなしみをも凌駕するものであり、
だからこそ、ひとつとしてそのしあわせを見過ごしてしまわないように、愛する人たちとのなにげない日常をビーフジャーキーやスルメイカを食べる時みたいにしっかりハムハム噛み締めながら生きていくぞ!
というものである。
そして、これを別の言葉で言い換えると、こんな歌詞になる。