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たこ焼きおじさんのこと

たこ焼きおじさんは、僕が営業時代に最初にお世話になった先輩に当たる人である。

ちなみに、たこ焼きおじさんというのは僕が勝手につけたあだ名なのだけど、その名前の由来は二つある。

ひとつは、彼がコテコテの関西人であること。

もうひとつは、彼の顔が本当にたこ焼きみたいなまん丸い球体だったせいである。

薄い頭髪を完全にそりあげてたから、本当に惚れ惚れするくらいの球っぷりだった。

そんな彼とうっかりたこ焼きパーティーなんて開こうものなら、それこそ、間違いなく、というか、間違えて、彼の頭の上にソースやら青のりやらかつおぶしやらをふりかけていたに違いない。

うん、やっぱり彼はたこ焼きおじさんだ。

そんなたこ焼きおじさんは、とてもいい人だった。

そして、想像しづらいかもしれないけど、男の色気があって、とてもカッコ良い人でもあった。

ちなみに、服装は、薄緑のダブルのスーツに、小さいセカンドバッグを小脇に抱えた典型的な「ナニワ金融道」スタイル。

そんな出でたちで、新幹線の喫煙車でタバコをプカプカ吹かしながら、

「オレンジデイズって、ええよね!」

って隣の席に座る僕に語りかけてくるくらいだから、いわゆるギャップ萌え要素もじゅうぶんある人だった。

これでなんとなくたこ焼きおじさんの人と成りを分かってもらえたと思う。

しかし、僕にとってのたこ焼きおじさんを一言で表すとすると、それはとにかく

こんな僕のことを面白がってくれた人

に尽きるだろう。

正直、お互いの個性や営業スタイルが違いすぎて、先輩として、彼から何か学んだという自覚は希薄で、実はうっすら馬鹿にしていたところもあったけど、今ならとてもよく分かる。

僕が途中でくじけずに、まがりなりにも営業マンとしての自分をまっとうできたのは、間違いなく

彼の面白がり力

のおかげだったということを。

本当にお恥ずかしい話だけど、営業の仕事に就きたての頃の僕は、社会経験が無さすぎて、営業マンどころか、ただのマンとしてもおそろしく未熟で、ポンコツだった。

だから、周りの先輩や上司たちは、そんな僕を一人前にしようと必死に指導してくれたわけだけど、それをありがたいと思いつつ、なかなかみんなの期待に応えられない自分に人知れず思い悩んでいた。

しかし、そんなときでも、たこ焼きおじさんだけは、

ありのままなこんなポンコツな僕のことを

「おまえ、おもろいやっちゃなあ!」

と言い続けてくれた人だった。

僕がありえないようなミスやポカをしたときですら、

「おまえ、けったいなやつやなあ!」

と言いながらケタケタと笑って、知らない間に、僕の犯した失敗の尻拭いをしてくれていた。

そして、僕が今や無類のカラオケ好きになったのも、完全にたこ焼きおじさんのおかげである。

当時の僕は、典型的なシャイで人見知りなあんちくしょうだったから、カラオケを人前で歌うなんて芸当は絶対無理だと思ってずっと逃げ続けていたのだけど、いよいよ逃げきれなくなって、覚悟を決めてほとんどヤケクソで歌った曲が、

森昌子の「越冬つばめ」だった。

もちろん音程とかはむちゃくちゃだったけど、

とにかくサビの

ヒュルリ〜ヒュルリララ〜

が勝負パートだと思い、そこだけを熱唱、いやほとんど絶叫したのだった。

そして、なんとか歌い切って、自分の席に戻った僕は、もう恥ずかし過ぎて、あと周りのみんなの反応が怖過ぎて、ずっと下を向いていた。

しかし、そのときだった。

そんな僕の背中をぱーんと叩いて、

「おまえ、やっぱおもろいやっちゃなあ〜!」

という、あのいつものケタケタという笑い声が鳴り響いたのは。

その瞬間、とてもホッとしたのと、何より、めちゃくちゃ嬉しかったことを昨日のことのように覚えている。

ちなみにたこ焼きおじさん自身は、松山千春ややしきたかじんあたりを歌わせると、必ずその場にいる何人かが落涙してしまうほどの歌声の持ち主だった。

そんな彼と会わなくなってもうずいぶん月日が経つけれど、

今でも、ありのままの自分でいることが辛くて心が折れそうになったときは、ふと、目を漫画みたいなバツ印にしてニカっと笑いかけるたこ焼きおじさんの顔を思い浮かべることがある。

そして、そのたびに

「おまえ、相変わらずおもろいやっちゃなあ!」

というあの彼の声が聞こえたような気がして、僕はまた前を向いて頑張ろう、と思うのだった。

タコの歌が思いつかなかったので、代わりにイカの歌を…😅

2024.5.23追記

これもやっぱりつけて置かないとねっ!

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