想像して、何度でもやり直すんだ
自転車を漕ぎながら一所懸命に僕に話しかける息子の言葉を横を通り過ぎる車の騒音がかき消していく。
外出時はマスクはしなくてもよいと政府が発表してからすでに2ヶ月以上が経つのにまるでもはや「マスクは顔の一部です〜」みたいに頑なにマスクを付け続ける人たちと、それを見て見ぬふりする政府の人たち。
そして、どこかのSNSが、ご親切に今年、あなたの記事を一番、読んだ人ランキングベスト3を調べて報告し、それを嬉々として発表する人たちがいる。
当然、僕の名前などあるはずはないのに、勝手にガッカリしている自分に気づく。
うん、やはりこの世界は色んなかたちの
暴力
で溢れているのはどうやら間違いなさそうだ。
歳を重ねれば重ねるほど、経験とスキルを身に着ければ着けるほど、この世界のことがどんどん分からなくなっていく。
そして、分からなくなればなるほど、知りたくなるから、僕の心は常に知的好奇心で満ち溢れ、いつだってドキドキワクワクしている。
でも、同時にこう叫んでもいる。
どうしてどいつもこいつもそんな水際で人生分かりきった気になって、この世界のキワキワまで潜ろうとしないんだ。
当たり前なことなんか本当は何ひとつありはしないはずなのに…。
そんな風に独りごちる僕は2022年もいよいよ終焉を迎えつつある今日、約10年前に鼓膜が擦り切れるほど繰り返し聴いたあの曲がふと聴きたくなって、気まぐれに再生してみる。
あの頃と同じフレーズにしっかりと反応してしまう自分に
思わずニヤリとする。
うん、大丈夫。
僕はまだあの頃と変わらず、
全然、大人げない
そして、そんな僕にはやはり、分からないことに不安を覚えて分かったフリして立ち止まる人生よりも、分からないことを分かり続けようとして歩き続ける人生の方が性に合っているようだ。
言い換えれば、僕(ら)の人生は、
想像力の戦い
とも言える。
しかし、所詮、多勢に無勢、形勢は相変わらずいたって不利である。
ただし、たとえ善戦虚しく敗北したとしても、こんな風に笑って君に語りかけている自分を想像できるから、僕はまだまだ頑張れる。
「想像してごらん、僕らは何度でもやり直せるんだ」
あと、最後に大事なことを言い忘れたので言っておきたい。
人生「も」アートなんじゃない
僕らの人生こそがアートなんだよ
って
わかるかなぁ〜わかんねぇだろうなぁ〜
以上、三代目松鶴家千とせ、でした!