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不登校ママのゴール


いつも私の記事を開いてくださり有難うございます。

私がnoteを始めたのは、“不登校ママ” だった私が、その時どんな気持ちだったのか、自身がどうありたかったかをお話し、気持ちを言語化しにくい不登校ママを応援できたらいいなと思ったからです。

あくまでママが主人公です。


渦中にいる時、
私は罪悪感がいっぱいで、心はずっと下を向いたままでした。

自分がどうしたいのか?
どんな状態になれば満足なのか?


それよりも


わが子が学校に行けさえすれば…
そう思っていたのは間違いありません。


今回はそんな私が、その時いちばん知りたかったこと、「不登校ママのゴール(あぐりの場合)」についてお話してみたいと思います。


不登校のママのゴールはどこ?

わが子が学校に行けなくなったんだから、行けるようになることが「不登校家族」の悩みの解決!


普通に考えればそうです。


不登校を解決するにはどうすればいいのかと、学校や支援者にはこのような話をされます。

・わが子の話を聞いて原因を調べる
・学校と連携する
・専門家に相談する
・子どものペースに合わせた段階的な登校刺激を試みる
・第3の場所(フリースクールなど)を提案してみる
・学校以外の場所で、自信を持てるような活動の機会を与える

言いたいことはわかるのですが
『ここにたどり着くまでが大変…』


多くの親御さんはこれを試みるも一度は諦めます。
実はここからが本当のスタート


それから長い時間を掛けて
ほんとうにわが子を学校に行かせることを諦める覚悟をします。
(もちろん上手い具合に復帰できるお子さんもいらっしゃいます)


当時(20年近く前)わが家も同じ様な経過をたどりました。
その頃は現在ほど情報もありませんでした。

指導者も手探り状態です。
もちろん一生懸命対応して頂けたことは感謝しています。


3年ほど経った頃私は親子のゴールを見失い、もう考えるのを辞めました。


自分の人生を生きようと、仕事や趣味に没頭しました。


下の子が高校を卒業したときに「抜けた」そう思えました。

始まりから、かれこれ6~7年の年月が経っていました。


わが子は二人とも専門学校と大学へそれぞれ進学、それからは社会人になりました。それぞれが自分なりの進み方を、徐々に習得していったのだと思います。


境界線があってここから行けるようになりました!
そういうかたちではなかったような気がします。


私も仕事に出ていたので、今日は学校へ行ったのかどうか…確認をせずに本人たちに任せる様になっていました。


もちろん二人とも相当頑張ったのは確かです。



わたしが置いてきぼりにされていた

私が一番話したかった時期に不登校になった二人の息子たちは、あまり話が出来きないままさっさと大人になってしまったー

そんな寂しい想いがありました。


「本当に良かったね!」
勿論それが一番ですが


でも私はまだモヤモヤしていました。


頑張ったのはわが子であって、私は何もしてやれなかった自信のなくなった不登校ママのままでした。



✻ わが子は乗り越えたのだ✻



そう思い、この気持ちに蓋をしました。



私は働いて得たお金で好きな物を買うことも出来たし、仕事も嫌いではなかったのでそれなりの楽しい時間を過ごしていました。


不登校が解決したと思ってから、3~4年が経っていたと思います。


仕事が好きで時間もある私には、フルタイムでガッチリ稼いで、旅行へ行ったりお洒落をして友達とも好きなことができる環境がありました。


なのに、仕事に慣れてきてリーダーや責任のある仕事を打診されると、怖気づくためそこから頑張れない私には


いつもいまひとつ自分を発揮できないところがありました。



その頃ですー
何気なくネットで見た “西洋占星術”の無料講座に(なぜか)申込みをしました。


偶然に見たサイトの、それも私が全く信じていなかった『星占い』のサイト、無料と言えども占いで一番興味が無かったやつに…。


申し込んだけれども、受講のタイミングを逃し終了となってしまったー


やっぱり興味のないものはタダでも無理ですよね (^^;



期限が過ぎたことでホッとしている自分もいるなか、数カ月後にまた同じサイトの無料講座の募集記事に遭遇してしまいます。


またか…
相変わらず興味はあまりなくどちらかと言えば、なぜ『星占い』にそれほど皆が興味を持つのか…そちらの方が気になってきたんです。


よし、今度こそ(本当はどうなのかを確認するために)やってみようということになったのです。



不登校ママから抜けられなかったワケ


その無料講座では、自分のホロスコープを見て鑑定の練習をします。

ホロスコープとは、占星術の中で最も一般的に知られている概念の1つです。ホロスコープとは、人の生まれた時の天体の位置を図示したものです。

リートン調べ



自身のホロスコープを読み解くことが出来るようになってくると、 
「私が自分を発揮できない」理由が分かったのです


突如感じたスッキリ感 … 何これ?
すごく楽になった~( ;∀;)


私が生まれた時の星の配置に、
「私が自分をアピールしにくい」そのヒントがあった。


「私の努力の問題ではなかった」
これならしょうがないね💡 

そう思えて過去の自分を肯定出来た瞬間でした(この話はまたどこかのタイミングで記事にしたいと思います)


星占い(西洋占星術)は私が何年も何年もダメだなと思ってきた
モヤモヤを一瞬にして取り去ってくれました。


世の中にこんなスゴイことがあるのか…


この感動が私を次に行動させます。


それから西洋占星術のプロ講座に進み、西洋占星術と相性の良いタロットのプロ講座にも進みました。


なるほど…
あぐりさん、それで占い師になったんですね(そう理解してもらえそうです)


そうですね
これで人生を生きやすくなる人は
きっと大勢いると確信しましたね
(と、わたし)


普通はここまででこの記事は終わります。



覚えてますか?先ほどのー
“自信のなくなった不登校ママ” から脱出できなかった私は


今度は タロットでこれに気付くことができた のです・・・


私がずっと忘れていた気持ちです。


結婚してすぐのこと、
長男がすぐに生まれたので、新婚生活もあまりなく10年以上バタバタしたままの生活がありました。


その時に夫婦で話し合わなければならなかったことがあります。

私が違和感を感じていたことです。

どういう風に説明すれば良いのかわからなくて・・・

その答えが聞けないままお互いが忙しくなり、私は諦めてその気持ちにも蓋をしてきました。


後からわかったその部分は、
私が生きる上で最も大切にしたい部分
だったのです。


そんな大事なことを後回しにしたまま、いつの間にかその違和感にも…きっと私のワガママ、皆上手く受け流して生活しているに違いない、もっと大人にならなきゃ…そう自分を納得させたままになっていました。



『それじゃダメなんだよ!』


そのことを不登校になったわが子が教えてくれていたんです。


そのことに気付けないままだったから、わが子が学校へ行けるようになっても晴ればれした気持ちになれずにいたんですね。


子供たちにも辛い想いをさせたのに、自分自身も辛かったはずなのに
その間に夫婦間の話し合いは殆どされなかったように思います。


夫はいつも「何がそんなに辛いの?」
と言わんばかりにきょとんとした表情⁈


多分お互いに見ている景色が違ったのでしょうね。


私は『 人と自分の想いを共有することを、特に人生において大切にする人間である 』


このたった40文字足らずのことを自覚していなかったばかりに、結婚してから10年以上もの間、もやもやし続けていました。


せっかく不登校になったのに
その意味を最大限に活かせてなかった。


夫は感情よりも思考を優先するタイプで、家庭で生きるよりも社会生活がとても向いている人。


私は反対に人の感情面を読むことが得意なため、人間関係において苦手に感じる部分がある反面、悩む人の話を聞くことが得意で共感も出来るタイプ。


どちらが良い悪いというのではなく、お互いに足りない部分を補いたいという気持ちから結婚をしたのでしょう。


随分遠回りをしました.。o○

わが子が不登校の最中に、もし占いに出会っていたら・・・そうとも思えるのですが、やはりその時期では私のスキルが足りなかったのです。その期間に自分探しが十分できたし、人の心について多く学べました。

それからは、夫ともわが子たちとも違った私の得意分野を活かせる占い師という仕事に就き、充実した日々を送ることが出来ています。


とうとう不登校ママのゴールにたどり着いた私は、今、回想記事をnoteに書き続けています。




最後までお読み頂き有難うございました。読んで頂けた方に何かが伝わったならとても嬉しいです✨


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