星よ知るなら、こちらまで (ロックな宝物)
旦那は今や、子育てクラブの仲間だと思っている。仲間だから共通目的のもと、活動していくためにあてにもする存在だし、あてにもされる。
一旦空気にまでしてしまったけど。
(落としたキャンディを拾う⑬にて)
子どもたちを社会へ送り出す(というのかな)まで同居をして生活を続けていく。
この決意はだいぶ葛藤を繰り返した。
ほんとは一緒に住みたくない。出ていきたい。
離婚しなくても別居をするとか。
子ども2人もそれぞれ1人ずつ同居して、何かの時は協力する。
実際、この形をとっている方を知っている。
でもまだ鬱の不安定さを秘めている私は、色んな部分で未熟だから、これが足止めになる。
前回書いた、心の中に重く沈んだままの石。
旦那への憎しみを含んだ思い。
今年こそ、心の底から無くしてしまいたい。
それができたらなと毎年思いながら、その心持ちがわからなくて、できる気がしないままできた。
強い気持ちで壊すには、ちょっとエネルギーが足りないな。
気泡をたくさん入れて壊れやすくする?そんな器用なことできない。
流すには重すぎる…
やる気あるのか!!!
だから、感情を進化させる(と呼んでいる)
重苦しいと思っているもの。
鬼になるんじゃないかと思うくらい憎んで、そのくせ自分を傷つけて卑下して、生きるのをやめたかった日々のこと。子どもたちに見せちゃだめなものをたくさん見せてしまったこと。
もう、一生分苦しんだように思ってる。
時間も手伝って、この石を宝物にしようかな。
ちゃんと大事にもっていて、きちんとあの世にも持っていく。
角度を変えれば、切り口を変えれば、こんな風にも思っていけるかもしれない。
まだ確信しきれてないけど、いつまでもつらいものとして意識してたら、この今の時間が勿体ないのでは?
今を楽しめるように、関わる人の良いところを見つけるように、声をかけたりしよう、自分のまんまの感性を踊らせてあげよう。
こりゃ失敗したな、うっこれはきつい、ということも想定内(で済むようなら)としながら。
辛かった過去をまるっと宝物にするには、今を納得するよう生きることでできるのかもしれない。思い始めたところだけと。
色んな人がいるのだから、まんまの私を嫌だという人もいるだろうけど、それがその人だからいいのだ。悪いことしてなければ私もそのままでいいのだ。
わからないことを教えてくれる人にはほんとに感謝。挨拶返してくれる人もほんとにありがたい。
(1番に就職した動物病院は完全無視だったから。これ、ほんとに何も始まらない。3日で辞めた(*´Д`)フン!)
ふと思い出した。
いつも1人でいる秀才男子や、輪の中で話に入れず下向いてる女子をどうにか笑わせようと話しかけて笑ってもらうことが大好きだった小学生の頃のこと。
人が笑ってくれるのが嬉しくて、安心した。
今の仕事はそれを感じられる仕事。
真剣さも必要だけど、笑って話したり、ちょっとつらいんだって話をしてくれることに触れられて、そんなことに助けられる。
触れられて嬉しい。
ほんとは自分のことも、そんな風に聞いてくれる人がいてくれたらいいなと、欲を言うとそう思う。
日々のいいことを見つける意識はやっぱり大事なことなんだね。
ちょっと無駄だって思ってたけど、違うね。