母の花壇
今日は母の命日。
私には母が二人いる。
一人は産みの母。もう一人は父が再婚してできた母。
実の母は私が中学一年の時に癌で亡くなった。47歳だった。もうあれから50年近くたつ。
なんとなく自分も母の年齢くらいまでしか生きられない気がしていたが、母よりも15年も長生きしている。48歳になった時、母が見られなかった景色を私は見るんだな、と不思議な気持ちになったのを覚えている。
約12年しか一緒に過ごせなかったので、残念だが母との思い出は多くはない。まして、母は何度も入院をしていたから、家よりも病室の思い出のほうが多いかもしれない。
私が小学二年の時も入院していた。学校の帰りに着替えの寝間着や新聞を持って、母の病室に寄るのが日課だった。母に会えるのだから喜んで寄っていた。母が売店からおやつを買っておいてくれて、それをもらうのが楽しみだった。保育園に妹を迎えに行って、また病院に戻ったり、そのまま自宅に帰ったり。自分でも、健気な二年生だったと思う。
家での母で思い出すのは、週末まとめ買いをして、魚をさばいたり、常備菜を作ったりしている姿だ。
ある日、母がさばいている魚の腹から、釣り針が出てきた。それをもらって庭の池にご飯粒をつけて垂らしてみたら、金魚が引っかった。なんて可愛そうなことをするんだ、と母にこっぴどく怒られた。釣りというのをやってみたかっただけなのに、何でこんなに怒られなくてはいけないのか、と思ったことを覚えている。
もう一つ思い出すのは、母は花が好きだったということだ。
母は、二年間の病気療養中に、庭にいろいろな花を植えていた。復職間近には、花壇を整えられるくらいに元気になっていた。芝桜、ノボリフジ、ミヤコワスレ、バラ、芍薬、口紅水仙、きれいに整えられた花壇を嬉しそうに眺めていた。
だがその一年半後に癌が見つかった。東京の病院で手術をしたが、すでに全身に癌が転移していて、一年後には亡くなってしまった。
私が花が好きなのは母の花壇の思い出があるからだと思う。花を見るといろいろな思い出が蘇ってくる。
母のお葬式のあと、母の植えたノボリフジが花壇で揺れていた。紫、ピンク、白。きれいだけど寂しい、あの光景は忘れられない。
でも、そのノボリフジは花壇から消えてしまった。今、ようやく二株大きくなってきたところだ。いつかまたあのノボリフジが揺れる母の花壇を復活させたい。
それが私の夢である。