チェスガルテン創世記【4】
第一章ーーカザド【Ⅲ】ーー
「なにを」
背後の火明かりから照らされた少女は半裸だった。
衣のすそは引き裂かれ、上半身はほとんどの肌をさらしていた。
カザドは少女の身にふりかかった災いに身震いし、全身が冷え冷えと凍りつくのを感じた。
目眩がした。
少女は死ぬまでの間に、カザドがかつて味わった物と同じ屈辱を受けたのだ。
カザドは雪に膝を落とし、両手をついた。
逃げようとあがいていたであろう少女の細く白い腕は、樹の幹にすがったままもう動かない。きっと美しかったはずの濁った紫の瞳は、もう決して輝くことはない。
誰も彼もが、間に合わなかった。
地の民たちの、女神の嘲笑う声が聞こえてくるようだった。
息をしなければと、カザドは肺いっぱいに凍てつく空気を吸い込んだ。
それを細く、慎重に吐き出そうとしていると、どういう訳か、喉元から引きつくような笑いが込みあげてきた。
なにがおかしいのか。止められない。よくよく考えてみると、別に止めたいわけでもない。
この場で好き勝手に振る舞ったであろう地の民に対して、嘲笑えてきた。
「……はっ……馬鹿共め……」
よくやる。
「小娘一人を相手に、ここまで」
執拗に。
「大勢で」
寄ってたかって。
「この寒さの中で」
よくやれるものだ。
「馬鹿共め」
よくやる。
「よく、やる」
――よくもやってくれたな。
「……女神よ……大地のアマナ女神よ。お前は我々から、天王と、天空を奪った。誇りを、魂を奪った」
やがて、くっくっと鳴る喉の奥から、堪え切れない訴えが搾り出てきた。
神に祈りを向けたことなど無い。
そもそも信じてすらいない。
神が何をしてくれた?
恩恵など受けた覚えは無い。
痛みすら、与えられた事は無い。
カザドを嬲った者も、少女を殺めた者も、神ではなく人間だ。
地の民、天の民、皆等しく人間だろうに。
神は何をしている?
「やっと築いた楽園も奪い獲った……次はなんだ?」
カザドは呻いた。
いたと言うなら。
祈りを聞き届けると言うなら。
これが神の御心だと言うなら。
かつて存在し、君臨し、この世界を創り上げたと言うなら。
この叫びを、神よ、聞くがいい。
「いったいこれ以上何を奪えば満足するんだ!見て見ぬふりの神共めが!」
カザドの叫びはすぐさま静寂にかき消され、わずかの余韻すら残さなかった。
静けさに取り残されたカザドは、しばらく俯いていた。
もはやここにいる理由はなく、去らなければと思うのだが、気力がわかない。争い、奪い、追われ、疲れはてて楽園を求めた。ひと目見てみるだけで良かった。
確かなものを目にすれば、この先、どうとでも生きていける気がした。
しかし、もはや何もない。
カザドの良く知る破壊と殺戮のあとしか、残ってはいないのだ。
「……あんまりじゃないか」
このように隠された場所さえ失われるものなら、この世のどこに生きる所があると言うのだろう。この大地は地の民のものであり、神すらいないのに。
(そうだった……祈る神などいないのだった……)
絶望が音もなく、胸の内に広がりつつあった。かつては怒りではねのけてきたが、今はもう、怒りすら無意味だった。ずっと握りしめていた短剣を、カザドはとりつかれたように眺めた。
それで何をしようという明確な意思があったわけではなかったが、のろのろと自分の喉元に、その切っ先をあてがった。
そうすべきだという気がした。
それしかもう、ないだろう。
もう一度、哀れな少女へ目をやった時だった。背後で雪の沈む音がして、カザドが思わず振り返ると、雄叫びをあげた何かが飛びかかってきた。
あわやのところで避けたカザドだったが、生温かい物を鼻先に浴びて顔をしかめた。どこか傷つけられたらしい。
野犬か狼か、血の臭いに誘われた獣だ。
カザドは舌打ちし、痛みを感じるより早く、立ちあがって短剣を構えた。
いくら望みなど無くとも、女神のしもべに与えられる死はごめんだ。腐った死肉ならばくれてやる。欲しければそれでも食んでいろ。
だが獣が跳びすさった場所にいたのは、野犬でも狼でもなかった。べたりと張り付く黒い汚れの中に混じった、差し込む様な夜明けの群青。
そこには青い目の子供がいた。
【次話】
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