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チェスガルテン創世記【7】

第二章――フェンリル【Ⅱ】――


男は素直に従い家族と共に馬車を降りた。
 何がなんだかわからないまま雪の上に膝をつかされ、布越しに雪の冷たさを感じてようやく状況を判断する余裕ができた。
 天の民ヴィトの亡霊は、全部で五人いた。驚くべきことにいずれも子供と思われた。
 一番背丈のある者でさえ、並んで立てば男の長男よりも低いだろうと見て取れる。男に刃を突き付けていた者も、こうして見ればずっと小柄だった。
 その気になれば切り抜けられそうだったが、護衛の者が後ろ手に縛られて男の隣に膝をつかされたのを見て、呻くこととなった。
 こういう時に役に立たず、何のために雇った護衛なのか。
 商人一家と使用人の女と御者、そして護衛が全員馬車から下りたのを確認すると、先ほどの亡霊がおもむろに男に言った。

「あんただな?」
「なに?」
「あんたが、この中で一番偉い。そうだろう?」

 改めて聞けばその声はやはり若かった。
 男は生唾を飲み込んだ。

「……だとしたらなんだ」
「取引だ」

 きっぱりとした、簡潔な返事だった。

「積み荷と、食糧を半分置いていけ。そうすれば命は助けてやる」
「なんだと」

 その要求に、男は唖然とした。亡霊に必要なものとはとても思えない。

(これが亡霊?)

 亡者にありがちな、おどろおどろしい印象は一切感じない。
 五人の亡霊は皆身軽そうで、若いと言うよりも幼そうで、しっかりと地に足をつけて立ち、得物を持ってこちらを脅している。

(いいや、そうではない。盗賊だ。天の民ヴィトの……天の民ヴィトの盗賊?)

 地の民アマリに歯向かう天の民ヴィトなど、聞いたことはない。それこそあの昔話くらいだ。
 すべての天の民はアマナ女神の恩情によって生かされているのであり、地の民アマリに従属し許しを請うのが本来である。
 ましてやこのような子供に膝をつかされるなどありえないことだった。
 男が困惑してまごついていると、埒が明かないと思ったのか取引を持ちかけた天の民ヴィトがふいに、男の妻と使用人の方へと進みでて身を屈めた。

「いや、やめて、お願い」

 恐怖にかられた妻の声に、男ははっとした。
 その天の民ヴィトは、使用人にあやされながらもまだ、泣き声をあげていた末の子を取り上げて、後ろ足に元の位置に戻るところだった。
 男はたまらず声を張り上げた。

「息子をどうする気だ。汚らわしい手で触るな!」
「どうにでもできる」

 これほどはっきりした、脅し文句もなかった。
 妻が短く悲鳴をあげて震え、男の背筋をぞっと、悪寒が走った。

「この赤ん坊が使えなくなったら、次はそっちのチビどもだ。その次は大きい方。その次は女ども。おっさんは……一番最後にしよう。それまで見ていられるなら」
「やめろ!」

 男は叫んだ。

「やめてくれ、頼む……子供たちには、妻には手を出さないでくれ。なんでもしよう、だから……」

 うっとうしそうな口調で天の民ヴィトは言い捨てた。

「積み荷を半分置いていくか?それで助かると、はじめに言っただろうが」
「わかった、わかったから、何もしないでくれ、息子を返してくれ……頼む……」
「じゃあさっさと積み荷を降ろせ。赤ん坊はそれからだ」

 護衛と使用人と御者、そして夫婦で、亡霊たちの監視のもと積み荷を降ろしだした。
 男は天の民ヴィトの機嫌が損なわれぬよう、なるたけ高価な品々を選んで運び出すよう護衛たちに伝えた。
 その間息子たちは、天の民ヴィトに剣を向けられていた。
 冷や冷やしながら半分の積み荷を降ろし終えると、ようやく末の子は妻の腕に返された。
 先ほどの泣き声が嘘のように、すやすやと寝入っている。

「射抜かれちゃたまらないから矢は全部もらっておく。もう用はない、行け」

 そう告げられたものの、まだ相手が抜き身の剣を構えていることには変わりなかった。
 御者は相手の気が変わらぬうちにと馬に掛け声をかけ、急いでこの場を去ろうと躍起になっていた。
 男は苦し紛れだと知りつつも、今しかないと、悪態をつかずにおれなかった。

「覚えていろ亡霊め、このままで済むと思うな。今にアマナ女神の怒りがお前たちに放たれるだろう。地下に繋がれた女神のしもべが今度こそ、お前たちを一人残らず喰いつくすだろう。その時を待っているがいい」

 すると、天の民ヴィトは一拍置いたのち失笑した。

「頭がいかれてるなおっさん。女神がいると言うなら何故、今、この時に現れない。あんたもあんたの家族も、殺されるかもしれなかったのに。女神はなにをしている? あんたを救わずに放っておくのはどういう訳だ?」

 男は言葉をつまらせた。馬車が駆けだし、再び雪が舞う中を都へと走っていく中で、男は震えて額に油汗を浮かばせた。

「ありえない――」

 はったりだ。女神を恐れない天の民ヴィトなど、ありえない。ありえてはならない。
 初めから、奴らはこちらに手を出すつもりなど無かったのだ。それを女神は察したのだ。
 だからその御手みてを示されることはなかったのだ。

「ありえない――」

 男は使用人から末の子をひったくるようにして、抱きしめた。
 息子の機嫌が良くなったのは、何の心配もいらないと小さいながらに察したからだ。女神の御手を感じたからだ。
 けして、けして、天の民ヴィトにあやされたから泣きやんだのではない。天の民ヴィトの腕が心地よかったわけではない。
 女神が現れなかったのには理由がある。
 ――きっと帝国で何かあったに違いない。
 近代の地帝に、女神の娘達にきっと、何か。
 きっとそちらにいらっしゃるのだ。だから。

「あんな奴らが、居てなるものか」

 息子は無垢な寝顔だったが、男の震えはとうとう止まらなかった。


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